2014年2月18日火曜日

おはようさん 2014.2.17.

能年玲奈ちゃん主演映画「ホットロード」の原作を読み終えました。 1986~7年の紡木たくさんの少女マンガです。 孤独から逃げるように、暴走族の仲間に入り不良の道を進んでゆく主人公・和希とバイクに命をかけ、死の意味に飲み込まれていく暴走族総頭の春山の物語です。 まるでゴッホの向日葵を見ているような・・・作品でした。 わたし 彼&彼女の気持ちがよくわかります。 42才でバイク免許を突然取っての44才の時にはFireblade954RRというスーパースポーツバイクに乗ってました。 傍から見ればまさしく 中年暴走族ですね(;^^)ヘ.. 町中や夜中をブーブー言わせて走るお子ちゃま暴走族とは違って、ちゃんと革ツナギ着てサーキットを走ってました。 この世界に入ってみると、結構 中年暴走族がいるもので、とっても面白かったですよ。 サーキットと言ってもバイク屋さん主催の走行会ですから、各々それなりに走ってました。 早い人は早い、わたしみたいに初心者は適当に・・・ それでも鈴鹿のストレートでは250Kmは出てました(出さないと追突される!) Firebladeでの自己最高は300Km! この一瞬の快感は人生の大きくて大切な宝物です。 バイクというのは、本当にひとりになれます。 孤独というよりも、何もなくなって、ただひとりになれるのです。 ひとりぼっちではありません。ひとりになれるのです。 多分、ゼロ戦を飛ばしている時に似てるんじゃないかなぁと思います。 空があって 雲があって エンジン音があって お日さまが輝いていて。 バイクも同じです。 道があって 景色が溶けてしまった空気があって エンジン音があって やっぱりお日さまが輝いていて。 サーキットで前を行くバイクのテールランプを見ているのと同じ感覚が「ホットロード」には何回も出てきました。 その瞬間、たった1秒1秒の中に溶け込んでいく景色も音も光も生命もすべてをひとりじめできます。 孤独でも友人、親兄弟、社会、学校、愛、信頼、義務、責任、幸福、大人・・・フェイクな絆でもない、ホンモノの自由な刹那がバイクにはあります。 ホットロードはお子ちゃま暴走族のお話ですし少女マンガですから、恋をして死と直面して奇跡が起こって・・・というハッピーエンドで幕を閉じます。これはこれで良かった! 今の漫画だったら、間違いなく暗く後味悪い終わり方になったでしょうね。 たしかにこの主人公 和希に能年玲奈ちゃんはぴったりです。 彼女は憑依型女優です。 紡木たくさんは読み込んでボロボロになったシナリオを持って来た能年ちゃんを見て「あなたはもう 和希です」とコメントしてました。 ひとり そして愛と死 きっと能年ちゃんなら見事に演じきってくれることでしょう。 今から映画を心待ちにしています。 P.S. わたし フッと10年ぶりにバイクに乗ろうと思ってます。 もちろん もうスポーツバイクには乗れません(体力が・・・ムリです) あれだけは今生で絶対に乗らないぜ!って豪語していたアメリカンタイプのバイクに一目惚れしちゃいまして・・・あれれぇぇ(^^ゞ この春から再び「ひとり」の刹那を大いに楽しみたいと思っています。 ・・・この気持ちって バイク乗ったことのある人しか わかんないよねぇ・・・ 前世物語  先生はうつむいて言いました。 「もう二度と愛する人を失いたくないだろう」  突然、私の涙が激しく流れ出しました。悲しみと嬉しさの入り交じった涙です。そして先生は私だけに教えてくれました。 「この症例をよく読み直してごらん。過去生で死んでから、その人生を振り返る場面では何も答えられなかったし、今の人生との対比の場面でも気づきはなかったよね。光のところでも息子さんとのコンタクトは断られてしまったよ、『まだ早い』とね。どうやらこの患者さんは憎しみで魂の窓が塞がれてしまっていて、心が憎しみのエネルギーで暴走していたんだね。でも過去生はちゃんと見えたから、心の素直さ、純粋さは残っていたと思うよ。ちょとした気づきで十分にリカバリーできる患者さんだったんだね。  さて、光に無理強いして息子さんとコンタクトしたわけだけど、それ以降の光と息子さんの返事はまるで賢人のような内容だったと私は思うけど、どうだろう。  例えば、『人を憎んだり恨んだりしてばかりだったから、あなたには本当の悲しみが足りなかった。その悲しみで憎しみを洗い流して、愛することを学びなさい』・・・この教えは普通の人が簡単に気づけることではないと思うよ。この患者さんには悪いけど、それまでの受け答えからして、とてもこの患者さんが創造したとは思えないんだ。もし光のメッセージに患者さんの創造による真偽があるとしても、これは本物の光からのメッセージだと思うよ。  私たちのワークは、ワイス博士が始めた過去生退行による前世療法を大きく発展させたワークなんだ。ワークの基本にはゲシュタルト理論が入り、『今の人生』『今の自分』が必ずアンカーされた上で過去生に降りているだろう。だから死を通り越した後の世界に入っても『今』にセンターを保っているので、フラフラとどこかへ流されてしまうこともないし、魂の扉を開いて魂の根源へ、光へと向かうことが出来るのだよ。『今』へのセンターリングが強固であればあるだけ、魂の光の中をより深く進んでいくことが出来るんだ。個人の魂がその個人の根源たるひとつの光に問いかける形でワークは進められているよね。このひとつの光は、少なくとも今の人類の魂の集合意識から答えてくれているんだ。歴史上、この鉄の時代と呼ばれている私たちの集合意識からだね。同じ土俵からだからメッセージもわかりやすいんだ。それに同じ時代を生きているのだから、個人の魂もその魂の集合意識の影響を絶えず受けているからね。光のメッセージを自分で創っているように感じてしまうのも当然なんだ。光はいつも言うだろう、『いつでも、どこでも、みなさんを見守っていますよ』って。つまりこの時代の人類はどの歴史に生きていようと、みんなひとつの集合意識に繋がっているんだよ。そして、ひとつの光は絶えず個々の魂たちの気づきを吸い上げているんだ。こうやって魂の集合意識はどんどん成長し続けているんだ。ひとつの光がどんどん眩しく大きくなっていくんだね。  シンクロニシティは、このひとつの光と個々の魂たちの繋がりを介して起こるんだ。すばらしい気づきが得られると、それは魂の集合意識を介して一瞬で多くの魂たちに伝わるんだ。また、光の中に蓄積された気づき同士が反応して新たな気づきが現れると、それも瞬く間に魂たちに広まるんだよ。ここには時間軸は存在しない。過去が未来を変え、未来が過去を変えるんだよ。そしてパラレルワールドの話は・・・また今度だね。