2013年8月25日日曜日

おはようさん 2013.8.26.

藤本蓮風先生の北辰会夏季研修会でいっぱい夢分流腹診&打鍼のお勉強をしてきました。 午前中は蓮風先生直々のベッドサイドレクチャー。 蓮風先生の氣を目の前でビリビリと感じながら、いろんなことを直感的に学んできました。 このレクチャーの前に、蓮風先生著書の「弁釈鍼道秘訣集」を読み直していました。 その中で、こころがうれし泣きしそうなくらい感動したところがあったので、抜粋して皆さんにもご紹介しますね。  本章は最も大切な章であり、東洋医学の真髄を説いている。弓矢を引き放つ時、意識的にするのではなく、無意識に無我の境地ですると、自分の持っている生命力が素直に流れ出て、間違いなく的に当たる。挽こうというりきみ、当てようという意識もない。唯素直に的に向かって放つだけである。そうしたら必ず当たる。  我々は臓腑経絡に基づいて治療するが、最終的に大切なのは直観である。手でさわっていって「ああここだ、ここだ」と思う。それである。針を置こうという意識もなく、知らぬ間に出てくるものである。これは歌にあるように無意識にやるのであって、その治療は必ず的を射る。それは頼りにならない常識などよりも、ずっと確かである。そこには無限の力がある。 (中略)  理屈を越えて、なんとか治ってほしいとそれだけになる時、臓腑経絡を越えて直観が働く。 (中略)  我々は誰もが、自分の本来的自我を輝き出さなければならない。そうすれば<素問>、<霊柩>どころかもっともっと素晴らしい治療ができるであろう。 (中略)  この本来的自我の生命の輝きのままに、自己をとりまく世界を認識すると、そこにいわば体験的直観的世界が開ける。それは概念、言葉、論理というような相互的認識の世界をはるかに越えて、直観的、内的理解の絶対の世界に入ることである。"冷暖自知"という言葉がある。そもそも冷たい、熱いという感覚は人から教えられて知るものではなく、また理屈でどうこういうものではなく、生命の特性により自ずと知るものである。これである。  それでは、我々が今まで勉強してきた多面的観察や臓腑経絡などは不要なのだろうか。理論的に証を立てることは不必要なのだろうか。そうではない。非理論の世界があるからこそ、理論が生きている。  たとえば、腎の陽虚証と証を立てても色々な治療法がある。「関元」に温灸すると決めても、温灸する回数、針の立て方、深さ・・・など無限の要素が含まれている。そこに直観、ひらめきが必要になってくる。そして直観によって証を立てたことが生きてくるのである。同じ人間でも朝と晩ではもう生命の状態が違っている。いわんや数日たてば、ころっと変わってくる。だから同じ経穴を選んでも違った針をしなければならない筈である。それを決めるのは何か? 直観である。  針は一見単純であるが、無限の因子を含んでいる。まず針を打つか打たないか、針の太さは如何? 刺す方向、深さは? 刺したあと響かすのか響かさないのか?・・・等々。これらを決める時直観を働かせなければならない。本来的自我が輝いていれば、優れた直観がひらめいて、見事に患者の生命状態を映し出し、それに応じた針を打つことができる。  我々は、素直な、とらわれのない、りきみのない気持で患者に向い、なんとか治ってほしいという医療の原点に立って治療するのであるが、更に境地が進んで、無意識、無我の絶対界に入ると、人を救おうとか、脈がどうこうだから、どこそこび何分針をしようなどと意識せずとも、自ら適確な治療ができるようになる。 (以下略) 藤本蓮風著 弁釈鍼道秘訣集 打鍼術の基礎と臨床  緑書房  ISBN978-4-89531-813-6 この本は夢分流腹診と打鍼について書かれた本ですが、蓮風先生が一番書きたかったことは、この部分だと思います。 そういえば、今日のレクチャーでも、この内容にちょこちょこ触れながらお話されていました。 私も今日は蓮風先生の氣の集め方、氣のさばき方に意識を集中して感じていました。 「邪気も悪い気ではなく、ただ生気の流れが何らかの原因で滞り始め、とうとう欝滞してしまったものが邪気なのだから、元々の生気の流れを滞らせている原因を取り除いてやれば、邪気は溶けていってしまう」と蓮風先生はおっしゃっていましたが、なるほど!ガッテン&ガッテン%ガッテンです。 私は鍼灸の世界に入ってまだ半年。鍼灸の理論や左脳的知識はまだまだあまちゃんです。 でも、幸運なことに毎日、患者さんに触れて、鍼をすることができます。 直観を現場で磨くことができるラッキーボーイです。 「素直な、とらわれのない、りきみのない気持で患者に向い、なんとか治ってほしいという医療の原点に立って治療する」気持ちを忘れないように、明日からも鍼を精進していきたいと思います。 今日は「前世療法ハンドブック」から続きを載せますね。 私の過去生を覗き見してるの?   「先生は、私の過去生が見えていましたか?」と尋ねられます。  確かに、あなたの過去生が見えることがあります。 「魂の血液型」みたいなものが同じなのでしょう。  見ようと思って、あなたにもっとエネルギーを集中したら、あなたの過去生をはっきりと見ることができるでしょう。  あなたは目的の過去生の中に入り込んで、その人生をしっかりと体験します。  過去生と今生を見比べることで、今のあなたに一番必要な気づきを得ます。  光との対話を通じて、あなたという魂の使命を思い出します。  過去生を見るということは、その過去生に同化することです。  その過去生のエネルギーにシンクロできるほど、よく見えるのです。  あなたが過去生に同化していくことが大切です。  セラピストはプロですから、あなたより上手に、あなたが見ている過去生に同化することができます。  でも、あなたとセラピストが過去生へ入り込んでしまったら、誰が時空間旅行のガイドをしてくれるのでしょうか?  セラピストは過去生と今生にまたがったまま、過去生を旅しているあなたの意識と今生に残っているあなたの身体を見守っています。  あなたの意識が過去生のブラックホールに落ち込まないように、あなたの身体が他の魂に乗っ取られないように、踏ん張り続けているのです。  ワンネスを経たセラピストは、どんな過去生にでも同化できます。  あなたの過去生を見れるから、見ないのです。  あなたを過去生の中で圧倒することができるので、目をつぶっています。  セラピストのエゴで、あなたを洗脳するのは嫌なのです。  セラピストは、あなたに心を開いています。  いつもあなたのそばにいます。  あなたをずっと見守っています。  だから、過去生を覗き見しないのです。 安心して寄りかかってください  セラピストはエスパーなの?  前世療法は、時空間を飛び越えます。  前世療法のセラピストの心は「時間病」に蝕まれることがあります。  患者さんが過去生へ降りている時、セラピストは、今生と過去生にまたがってガイドしています。  セラピストは、時間の濁流の中に足を突っ込んで、あなたを支えているのです。  長い時間をかけて、セラピストの心に時間のゆがみが生じます。  セラピストの固有時空フィールドに裂け目ができて、別の時空間が入り込んでくるのです。  幻覚、幻聴、幻視が起こり始めます。  予知能力、テレパシー、神の声・・・。  最後には、時空間の渦に飲み込まれてしまいます。  これを防ぐには、自分につながっている時空間をすべて統合してしまうことです。 「今、この時」に、すべての過去生を統合してしまうのです。 「今、この時」だけになると、時空間を自由に扱うことが許されます。  前世療法中に、どこからか、暖かいまなざしを感じるようになるのです。  エスパーは他を捜しましょう  光の存在ってどんな人ですか?  光の存在は、いろいろな姿をしています。  白いヒゲと長い髪、白い衣の老人。  美しさにあふれた女神さま。  この二人が最も多いですが、仏様、観音様、イエス様、マリア様もあります。  亡くなった父母やおじいさん、おばあさんのこともあります。  みんなの共通点は、穏やかに微笑んでいることです。  時には厳粛な表情で迎えられることもありますが、すぐに優しさと温かさが伝わってきます。  光の存在の前に立った瞬間に、深い安らぎに包み込まれます。  光の存在があなたを愛の光でくるまってくれるのです。  光の存在とは、今のこの世の概念では「神さま」と呼べます。  光の存在との対話は、神さまとの対話です。  神さまとの対話は、神託という形で昔から行われてきました。  巫女を介して、神さまの言葉を聞いていました。  前世療法では、あなたが巫女の役目をします。  セラピストは、事前に尋ねておいた、あなたから神さまへの質問を巫女のあなたへ伝えるだけです。  あなたの意識の中に、神さまからのメッセージが濁流のように押し寄せます。  光との対話の最中に黙り込んでしまう方もいますが、これはあまりの情報量に脳がフリーズしているだけです。  あなたはセラピストに、その膨大な情報のほんの一部だけをボソボソと喋ってくれます。  前世療法は、あなたが神さまから欲しがっている情報を、あなたの中に丸ごとインプットしてしまう方法なのです。  あなたの中にインプットされた情報は、あなたにしか正しく解読できません。  前世療法のセラピストが、あなたとの境界線を頑なに守る理由がここにあります。  あなたへの神託だから、あなたが解読することに意味があります。  それは、あなたが生まれた理由わけであり、あなたが生かされている意味なのです。  前世療法は、人生マラソンの給水所です。  神託は、神さまからあなたへのスペシャル・ドリンクなのです。  あなた宛ての神託を受け取りましょう  憑依って何ですか?  前世療法で、憑依現象を見ることがあります。  死んだことが理解できずに、近くの肉体に潜り込んだ魂もいます。  死に際に抱いていた憎悪の念に、捕らわれ続けている魂もいます。  あなたの過去生を見ていたつもりが、あなたに憑依している魂の人生を見ていた、ということがあるのです。  あなたに憑依している魂には、悪意はありません。  ただ、ちょっとパニックを起こしているだけなのです。  こんな時はまず、憑依している魂にインナーチャイルド・セラピーのように話しかけます。  憑依している魂を落ち着かせて、自分は死んだこと、憎悪の念を持ったままでは光の中へ戻れないことを思い出させるのです。  ほとんどの憑依はこれだけで解消しますが、もっと頑固な場合には憑依している魂の前世療法を行うこともあります。 「憑依する原因となった過去生へ」と戻り、憑依した魂を解放してあげるのです。  前世療法での憑依現象の頻度は、セラピストによって異なります。  過去生での死後から光の中へ入るまでの誘導が長い程、憑依は多くなります。  肉体を離れてから魂が集うところに戻るまで、魂は不安定で逃げ場のない状態となるからです。  肉体と一緒に捨ててきたネガティブなエネルギーに取り込まれやすいのです。  光との対話テクニックが開発されて以来、この危険ゾーンは駆け足で通り過ぎることができるようになりました。  さらに、過去生へ降りるまでの誘導が長いほど、憑依は少なくなります。  過去生へ導く誘導の中に、安全装置を多数組み込んでいきます。  防備を固めて、しっかりと過去生へ降り立ちますから、かなり強い憑依魂でないと、そう簡単には入り込めないのです。  憑依は恐れるに足らず、それでもガードを固めて危うきに近づかず、なのです。  アンビリーバブルは、期待しないでください。  憑依は怖くありません  悪霊はいるの? 「悪霊は、本当にいるのですか?」と聞かれます。  自分が死んだことが理解できない、納得できない魂はいます。  時には何千年もの間、石室に閉じこめられた、と思い続けていた魂もいました。  死んだ日から長い時間が過ぎ去っていても、魂にとってそれは昨日なのです。  死んだ際のパニックを今日まで持ち越しているだけなのです。  こういう霊がしてしまうのは、軽い悪さです。  いたずら小僧が走り回っていて、花瓶を割ってしまうようなものです。  こういう霊には、死んで魂となったことを理解させます。  そして、これから行くべき方向を教えてあげます。  ほとんどの悪霊は、こうやって簡単に救われます。  数千例にひとつ、死後もネガティブなエネルギーを手放さない魂がいます。  自分の意志でネガティブなエネルギーを持ち続けているのです。  魂は善悪の二元性の世界から、正邪が統合された一元性を経て、ワンネスへと昇っていきます。  こういう悪霊は、意図的に魂の二元性の世界に住み着いています。  人間界は二元性ですから、悪霊は人間界と魂界を自由に行き来できます。  人間界の時間も空間も、魂にとっては意味のないスケールです。  魂は、時空間移動が瞬時にできるからです。  だから、こういう悪霊は、人間の歴史と場所のいたるところに出てこれるのです。  そして古来の言い伝えの通り、悪霊は不死身です。  人間に追いつめられたら、人間界から魂界に避難すればいいだけなのです。  この悪霊を我々人間が救う手だてはありません。  憎悪の念を抱いたまま死んだ魂が光へと昇っていくときに手放したネガティブなエネルギーが、この悪霊の下に集まってきます。  人間の二元性の歴史が、この悪霊を大きく育んでいるのです。  悪霊は退治されたのではなく、いつも、どこかへ逃げ去っただけなのです。  でも、ご心配なく。  バチカンの歴史の中でも、十数例しか確認されていない、というウワサですから。    悪霊にはめったに出会いませんから、安心してください