2013年6月30日日曜日
おはようさん 2013.6.30.
最近の光の前世療法で、光さんが語ったことを思い出しました。
「(生まれてきた意味も、今生の目的も実のところは)善く生きることだよ」
「どうしたら善く生きることができますか?」
「今を楽しめばいいんだ」
「どうしたら今を楽しめますか?」
「今を善く生きることだ」
・・・・光さんとの対話がループしたら、そこでその話題は終わりです。
ただ、光さんは患者さんを通さずに、直接、その後のお話をしてくれることもあります。
それは超自我、宇宙意識、神との対話・・・みたいなものですね。
「今を善く生きれば、後悔はしない。
今を精一杯に生きることだよ。
しんどくて寝込んでも、辛くて悲しくて泣き伏しても、次の日に立ち上がれば、笑顔ならば、それは今を善く生きたことになるんだよ。
雨の日、晴れの日、雪の日、風の日・・・自然は移ろうから美しい。すべて合わせて善しなんだよ。
努力は報われる? そんなこと、誰もわかんないさ。
生まれながらの境遇? そりゃぁ仕方ないさ。
自分で選んだのかって? そりゃぁ いろいろあるさ。だから楽しいんじゃないかね。
人さまの生きざまをたくさん見てきたからわかってるやろうけどな、
今を生きるの今は、死ぬ日のことだよ。死に際。今生の終わりの時。
そう、だから今を生きるってえのは、死に際から今生ってやつをずっと振り返って見てるわけだね。
ずっとずっと。生まれる時からずっとを振り返って、それが全部、今なわけ。
ほらね、ずっと下ってきた人もいる。ずっと登ってきた人もいる。
登ったり下ったり、いろいろあるよね。ずっと平坦な人もいるしなぁ。
ずっと下るのも楽しいよね。滑り台。またもう一度やりたくなる。
死んだ時、もう一度、滑りたい!と思ったが最後、同じ楽ちんな人生ループにはまりこんじゃうのよ。
何百回、何万回と繰り返しちゃう。
・・・そう、この世の時間軸に沿って何百万回と繰り返す・・・じゃないことに気づいてるね。
今というこの一日に、何百万人分もの人生として繰り返す・・・のもアリだよね。
ずっと登ってくるとね、最後の日に振り返って見えた景色に、満足感、やりがい感、達成感がわきあがってくるよ。
すべてのものへの感謝と生きる喜び。
そして、同じ道、同じ登りを繰り返そうとは思わない、思えないんだよ、魂ってやつは。
俗に言う、この星を卒業ってヤツだな・・・大いなるひとつの光にもどっちゃうだけなんだけど。
(残りたかったら、残れるけどね)
それは苦しい人生だから、不運不幸な人生だから、学びが多く、気高いチャレンジなんだ? かって。。。
ちゃう、ちゃう、全然ちゃう。
(わかってるくせに聞くなよな・・・まぁ、夜に書くネタやから話たるけどな)
山登りをワクワクと楽しめるかどうか・・・やな。
学びとか修行とかになると、笑顔がなくなるやろ。
自分をしばりつけちゃうがな。がんばらねばならない・きっと出来るはずだ・大丈夫だ・・・
しばっちゃいかんな。束縛は楽しくない。
光さんはいつも大丈夫&大丈夫と言うやん?って。
そのA型気質がいかんのやでぇ。反省しいやぁ(って光さんが血液型出してくるかぁ?)
大丈夫の意味が違う。全然違う。
大丈夫やけど、あかんかったら逃げても・やめてもええでって、宇宙のように広い意味や。
それは大丈夫って言わん?
宇宙では大丈夫ってそういうことなんやで。ひとつ勉強になったやろ。
何の話やった? 今を善く生きるってことやな。
今、できることを精一杯やりなさい。
何をしたらいいのか? のヒントは、ちゃんと気づくようになってるから。
下りの楽ちんな人も、気づいて立ち止まってみると、そこから登りの脇道が見つかるよ。
それを登るかどうかはどっちでも「大丈夫」なんやけどな。
登りがきつくて堪らんかったら、ひと休みすればええ。
ボッと登ってきた道程を眺めながら、そのまま人生を終えたっていいじゃないか。
死んだ時、続きはこの次で!と思えば、ちゃんとそこから始まるように生まれ変わるさ。
死に際に、
よくがんばった。
辛かった・寂しかった・悲しかったけど、ええ人生やった。
こんな人生もアリやな、二度とごめんやけど。
そして、
みんな、ありがとう。いろいろごめんなさいやけど、それでも、みんな、ありがとう。
善く生きるって、そんなもんやな。
(今夜はここでおわり。はよ寝えやぁ)」