2013年6月10日月曜日

おはようさん 2013.6.11.

今年のデジカメをみていると、画素数競争もひと息ついたみたいで、上位機種はローパスフィルターなしとか、アートフィルターのすごさで競い合ってる感じです。 一眼レフもミラーレスの小型デジカメに取って代わられようとしてる感じもします。 カメラ女子さんが増えて、重い一眼レフよりも軽量なミラーレスに人気が出るのは当たり前ですよね。 Facebookや500pxにもデジカメ写真が氾濫しています。 フォトショップの大進化で、猫がバンザイ\(^^@)/したり、虎が満面の笑みで笑ったり・・・解剖学の摂理を越えた写真がいっぱいあります。 風景や名所写真でも、そこに住んでいる人たちもビックリ(°0°)な、目に鮮やかな写真が高評価を受けています。 花や木々の写真では、もう本来の色ではないような、自然界を超越した色彩の花や木の写真が当たり前に思えてしまって、生の花や緑を見ながら、ブツブツ文句を言っている人たちも見かけます。 私自身、一年前まではデジカメ写真にどっぷり漬かっていました。 RAW現像をPCでしながら、気がつけば、どんどん色彩を作ってしまっている。。。 生で見て、シャッターを切ったはずなのに、PCモニターに映し出された花々は、色褪せて見えてきて。 こんなはずじゃない・・・とさまざまなパラメーターをいじりながら、自分のイメージ通りの作品に仕上げてました。 写真というのはアートだから、それはそれでいい・・・も分かります。 アートフィルターなんて、その最たるものですよね。 フォトショップを使いこなしていないと創れなかった夢想のようなイメージを、デジカメが簡単に仕上げてくれます。 誰もがアーティスト。。。善き時代です。 私は一年前、デジカメからフィルムカメラに回帰しました。 花たちの生の色が、木漏れ日の影の色合いがちゃんとこころに残らなくなってきたことに、愕然としたからです。 帰ってから、どうせ現像するのだから・・・ どうしたって赤薔薇の「赤」は出ないのだから・・・ デジタルだから、後で何とかなるしな・・・ 天地自然、万物宇宙とお話しなくなってしまっていることに驚きました。 ネットにアップして、たくさんの拍手やいいね!をもらうことが写真を撮る時の第一になってしまっているのではないか?  写真の神さまのお導きで、2年前に 脱力写真家 藤田一咲先生のフィルムカメラ本に感激して、中古のフィルムカメラを手に入れていました。 そのフィルム写真の温かさ、生命感、写真から風や匂いや囀りが聞こえてくるような自然さを思い出すと、もうデジカメには戻れなくなりました。 こうしてこの1年、ずっとフィルム写真ばかりを撮っています。 そして、そんなフィルム写真を撮ること、できあがったフィルムの絵は、まさに今の私の診療スタイルそのものだなぁと思います。 患者さんの顔を診ることから始まります。中医学の望診です。 再来診察の患者さんだったら、この顔望診だけで、この2週間の身体とこころの具合もほとんど分かってしまいます。 写真で言えば、まず光学式のファインダーを介して被写体と触れあう状態です。 血圧&脈拍&酸素濃度を測ったり、胸を聴診したり・・・の普通の診察と共に、脈診・舌診・腹診・背候診などの中医学診察もしていきます。 これは写真で言えば、露出計で露出を計り、露出とシャッタースピードを決めて、ピントを合わせて・・・と似ています。デジカメでは一瞬にして正確にカメラがやってくれる作業です。 めんどくさい・・・手間ばかりかかる割にうまくいかない・・・ステップです。 でも、このめんどうで手間な作業こそが、写真に生命と躍動エネルギーを吹き込んでくれるのだと思います。 生身の喜怒哀楽が写真に写り込み、その1枚で映画のようなストーリーを語ることができます。 デジタルは検査みたいなものです。 もちろん使います。 患者さんに手を触れて感じ取れたさまざまな症状や変化を確認するための検査です。 検査はあくまでも診断を確認するためにしたいものです。 診断がわからないから検査してみましょう。 検査すれば何かの診断がつけられるから、とりあえず検査してみよう。 ・・・ね? デジカメと似てるでしょう。 構図さえ決めれば、露出もシャッタースピードもデジカメまかせでOK。 シャッターボタンを押せば、露出を+ーに何段か補正した写真も一緒にシャカシャカ撮ってくれます。 そして、すぐその場で写真を確認できちゃう。 被写体との対話もカメラとの対話もそっちのけなのがデジカメ写真です。 そして、イコール それは、普通の外来診察です。 検査が終わらないと、何も診断できない・・・治療を始められない。とりあえず対症療法の痛み止めで様子をみときましょう・・・なんてね。 デジタルは便利です。 でも、いつしかデジタルの奴隷になってしまいます。 医療で言えば、検査の奴隷。 被写体も見えていない、風や香りや影の揺らぎも分からない。何より、それを撮りたいと思った自分の気持ちさえ残っていない。 医療で言えば、患者さんとの会話、患者さんへの想い、患者さんを前にして感じた直感や予感。 本当はとても大切なもののはずなんだけど・・・忘れてしまったものたち。 人間はアナログなのか、デジタルなのか? そんな回帰点にいるような気がします。