2015年7月18日土曜日

おはようさん 2015.7.17.

今日は、台風の雨がずっと強く降り続いていた一日でした。 祇園祭は雨の中、無事に執り行われて、みなさん、ホッとされていたことでしょう。 うわさでは、「ロックンロールな祇園祭」だったとか・・・雨に踊れば、ということでこれも良しとしましょう。 関東の人にはどうなのか?は知りませんが、ここ関西、特に大阪人には太閤秀吉さんは人気者です。 立身出世物語は秀吉さん以外にもたくさんありますが、「工夫と仲良し」に秀でたところが、商人の街に生きる大阪人のこころにピースサインを掲げさせるのでしょう。 禿げネズミ、かかあ天下、草履取り、足軽、しんがり退却、羽柴、中国大返し、三法師、利休、官兵衛、姫路城、女たらし・・・ ただ大阪人も利休切腹あたりからの秀吉にはNO!な感じを持っています。 朝鮮に戦争をしかけ、大阪冬の陣と夏の陣で街を焼け野原にしてしまい、天下の台所になったとは言え、江戸に牛耳られてしまう日々が今も続いているのですからね。 日本の公用語は関西弁になっていたはずやのに・・・と実は悔しがってる大阪人も多いのです。 晩節を汚す という言葉は、高齢化と認知症が進んできた今のお年寄りたちに、とても当てはまるケースが増えてきました。 秀吉はその典型ですね。 人は自分の死期が近いことを悟ることが出来ます。 発病することもあるし、体力の衰えを感じることもありますが、何となく・・・の直感的に悟ることもあります。 そろそろお迎えが・・・な感覚です。 その時、秀吉は息子と淀君を固守しようとしました。 お金はある。権力もある。その跡継ぎだけが不安だったのでしょう。 己のDNAを残すという男の悲しき(哀れな)宿命かもしれません。 晩節を汚すお年寄りたちを眺めていると、皆さん、お金や財産、地位や権力にしがみついているのがよくわかります。 何とかして後継者に引き継がせたい。 それが自分が生きてきた証だ、と思っています。 そして、秀吉と同じことをしてしまいます。 支えてくれていた側近を切る。 イエスマンで周囲を固める。 対抗勢力を仲良し作戦で取り込んでいたのが、一転して懐疑心が恐怖と敵対心となって燃え上がる。 アイデアと工夫を捨てて、古い経験値だけで乗り切っていこうとする。 晩節は、体操の床運動に例えれば、最後のフィニッシュ技と着地です。 これが決まらないと、それまでいくらウルトラCを連発していても、ネガティブイメージだけが残ります。 晩節に、病気になったり、認知症になるのは仕方ありません。 その時、美しい夕日のように静かに西ノ海に沈んでいくためには、晩節を迎えるまでの生き方を美しい生き方へとステップアップしておかなければいけないでしょう。 美しい生き方・・・お金や財産、権力や地位でギラギラに彩ることではないことは、このブログをお読みいただいている皆さんにはガッテン承知の介ですよね。 美しい生き方とは何か? それはひとりひとり、違っています。 これだ!という正解があるのは、ギラギラ彩りの古い世界でした。 光の世界では、目に見える美しさではなく、波動を感じとって「あぁ きれいだなぁ」と心の奥から湧き出てくるのが美しさのひとつです。 いろんな美しさがあり、愛があるのが光の世界です。 晩節に、その人生で最も美しく輝けるように、生きていきたいと思っています。