2015年1月5日月曜日
おはようさん 2015.1.5.
今日から仕事始めですね。
いつもと同じ時間に早起きして、医院の事務書類の仕事を片づけました。
「早寝早起き」と「部屋の掃除」は光との対話での常套句ですからネ。
郵便局が開く時間に町を歩いてみると・・・すれ違うのは60才以上の男性ばかり。
朝の町にオジンがあふれてるぅぅ 目が死んでるぅぅぅ ちょっと怖い感じがしました。
定年退職後、奥さんに「外を歩いてきたら!」って追い出されたのかなぁ?
そういえば医院に来る常連さんたちも、オジンは8時~9時 オバンは10時~11時って時間帯がわかれていましたね。
オバンたちは家の掃除や洗濯をしてから来るんだなって思ってましたが、オジンたちのことまでは考えていませんでした。
そうかぁ オジンたちは朝から家を追い出されて、仕方なく町を徘徊してるわけやなぁぁ。。。
デイケアーに行くには元気すぎるし(認知症とか何か大きな病気がないと介護保険も使いにくくなってますからねぇ)、パチンコ行くには小遣いないし、家に帰って奥さんの手伝いをしようにも邪魔にされるし・・・オジンたち、哀れですねぇ。。。
ああはなるまいぞ! とバイクで今年初めての万博公園へ出かけました。
11月の火事以来だから久しぶりの万博です。
秋の紅葉写真を1枚も撮らずに終わった昨年でした・・・なかなかカメラを持つ気にもならず・・・今日、やっと民博を撮ろうってカメラを持ち出せたのです。
写真ってカメラで撮ってるけど、ホントはこころで撮ってるんですよね。
だから、こころが死んでると、とてもじゃないけどカメラのファインダーをのぞけません。
まだまだこころはズタズタ で、今日も民博で、特に呪力の強い道祖神さんと目が合うと同時にスッと引き込まれそうになりました。いつもはそんなことはないのにネ。
それでもやっぱり民博は宝の山です。
やっといつもの写真を撮るテンションを蘇らせてくれました。
民博のお宝たちはすべて、人間が想いを込めて創ったものたちです。
ひとつのお宝に何千何万もの人の想いがこもっているものもあります。
そんなお宝たちがみんな、力をくれます。
カメラを向けることで、こころとこころが通じ合います。
お宝たちの善き波動がこころを癒やしてくれます。
民博で元気になれる人って、まだまだ少ないかもしれないけれど、きっとこれからどんどん増えてくるでしょう。
あの岡本太郎さんなんか、まちがいなく民博で元気になれる人!ですからネ。
上天気でポカポカの万博公園をゆらゆらと歩いていると、次第に元気が蘇ってきました。
やっぱり腎虚だったんですね。
すべての木々は冬の眠りの中で、
どの草は枯れて土にかえっていました。
冬って本当に無ですね。
春夏と花々が咲き誇り、秋にはあんなに錦の紅葉を楽しませてくれたのに、あの生命力はどこにも見えず、すべてが死んでしまったかのように静かでした。
なんだか今の自分と重なって、ハッとしました。
冬になって、すべてが死んでしまった・・・でも誰もこの世の終わりだ、もうダメだ!なんてパニックになったりしませんよね。
それは、春が来ることを知っているから。
かならず春が来る。だってそれが天地自然の理だもの。
人生のさまざまな出来事 や出会いも同じでしょう。
栄枯盛衰は世の常。
冬が訪れて、すべてが無に帰してしまった時、春を迎える準備をすればいいのです。
寒くて辛い冬だけど、春を夢見て、春の歌を歌えばいいのです。
偉大だと賞賛されている起業家たち、アスリートたち、映画のヒーローたちはみんな、何度も冬を乗り越えています。
春を夢見て、春の歌を口ずさんでいます。
春を心待ちにしているから、冬も楽しめるし、冬にも感謝できます。これが今を生きるってこと。
楽しめて、感謝できてると、冬の中に春の兆しを見つけることができます。
ますます楽しいし、ますます感謝しちゃいます。
楽しさと感謝の善循環ですね。
楽しめて、感謝できると・・・木々のオーラも、お空のオーラも、お日さまの光も・・・この世のすべてが美しく輝いて見えます。
そんな光の世界を今年はもっともっとみなさんと楽しみたいと思っています。
前世物語
美子ノート
幸福な人生
昔々、京の都に、それはそれはとても裕福で幸せに満ちた人生を送った女性がおりました。「しの」と申します。丸顔に日本髪のかんざしがとてもよく似合いました。道行く人たちは、しのさんの輝きに心引かれました。
七十九歳で、しのさんは暖かな死を迎えました。白い旅装束でさえも美しく見えます。夫も、子供たちも、孫たちも、そばにいてくれました。
先生はそっと、しのさんに尋ねました。
「人生、どうでしたか?」
「幸せでした。お金には不自由しませんでした。何でも自分で選べました。お嬢様でしたが、みなさんにも良心的に接することが出来ました」
「一番の幸せは何でしたか?」
「結婚、出産、子育て・・・ともかく何不自由しませんでした。子供たちも思いやりのある子に育ちました。夫も良い人でした」
しのさんは死にました。
先生は聞きました。
「身体を離れた時に何か決心しましたか?」
「また夫とこの子たちと一緒になりたい・・・」
「しのさんのお葬式が見えますか?」
「賑やかではないけれど本当に良いお葬式です。しのは良い人だったみたいです」
「それを見てどう思いますか?」
「また、こういう人生を送りたいです」
先生は、しのさんを高みへと導きました。
「上にどんどん高く高く上がります。そしてその高いところから、しのさんの人生を見て、何か気がつくことはありますか?」
「惜しみなく分け隔てなく、町のためにも、夫にも子供のためにも尽くしました。それが心から出来ていました。なに不自由ない生活だからこそ人に与えることが存分に出来ました。私の人生は間違ってなかった、と思います」
先生はもっと高みへと導きました。
「もっともっと高く高く上がります。その高い高いところから、しのさんの人生と、今のあなたの人生を見比べてみて、何か気がつくことはありますか?」
「しのさんは損得勘定なしに、見返りを期待せずに、本当の気持ちから良いと思うことを人にしてあげていました。中傷なんかには毅然としていました。自分を信じていたから全然気にしなかったし怒りませんでした。今の私にはそれが出来ていませんが、私にも出来る、と思います」
先生は更に高みへと導きます。
「そこから上はどうなっていますか?」
「真っ青な空・・・」
「その青空の向こうは?」
「ふわふわして透明な感じ・・・。たくさんの玉みたいなものがいます。そこは優しそうな感じの、人の良いところが集まった感じのところです」