2014年5月8日木曜日

おはようさん 2014.5.8.

GWのこどもの日に、出雲 一畑薬師さんへ開眼祈願でお参りしました。 宿泊地の大山は10時すぎまで雲の中で、ツーリング参拝はしばし晴れ待ちして・・ 11時過ぎてやっとガスも消えて出発進行! 中海と宍道湖を一周するコースでのんびりツーリングしてきました。 一畑薬師さんへ着いたのは3時前でした。 境内はものすごい人・・・子供と大人がごった返していました。 そう 二才児参り 四才児お礼参り 十三参り だったのです。 ちょうどご祈念が終わって、本堂から100人以上の子供と親御さんが出てきたところでした。 そしてお坊さんたち、キンキラに着飾ったお稚児さんたちに続いて、その子供&親御さんたちが薬師如来さんの真言 オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカを唱えながら、本堂を一周していました。 その姿を見ながら・・・子供も親御さんもみんな、とても幸せそうな顔をしていて、うれしくなりました。 いつの時代も、子の幸せを思う親の心は善きものですね。 ただ、この50余人の子供たちの中で、いったいどれくらいの子供たちの名がキラキラネームなのかしら? 田舎だからキラキラネームなんて付けたりはしない?・・・だったら未来は救われるんやけど。。。 あえて言いましょう。 子供の幸せを願う気持ちとキラキラネームは合致しないと思います。 そのわけは・・・まずひとつ目 名前に使う漢字のひと文字ひと文字が言霊です。 当て字にすると神も仏も宿りません。 神も仏も宿らぬ文字は邪気を引き寄せます。 キラキラネームを見ていても、そのどれもに「美」も「和」も感じとれません。 ふたつ目 社会人となった時に、人様から読めない・書けない名前は明らかに不利です。 舌癒着症の診察を受けに来る子供たちの中にもキラキラネームが増えました。 紹介状を書く際、とても面倒です。ワープロ変換で一字一字探しながら・・・これだけで気持ちはすでにブルーです。 これから一生の間に、キラキラネームのお陰でどれくらいたくさんの人たちをブルーな気持ちにさせてしまうのか・・・幸せになれるきっかけが減りますよね。 すでに有名小中学校の入試や企業の人事では、キラキラネームは一次審査前にボツが常識になっているとか・・・そんな名前を付ける親は桑原桑原ということらしいですが、さもありなんです。 みっつ目 子供が喜ぶでしょうか? 下手すると一生 恨まれます。 私も名前で嫌な思いをしてきました。 「輝実」・・・小学校の時、クラスメートに同じ「てるみ」ちゃんがいて、なにかにつけて囃し立てられました。 名前の由緒を聞いて、なるほどねって納得(なかば諦め)したのは中学生になってから。 成人式の前には振り袖の案内が山のように送られてくるし・・・ 今でも時々、女性と間違えられます。 そう、一昨年の大連吟の本番でも、あれれ? 女性グループの中に私ひとりって??? なこともありましたね。 「いつものことですよ。お気になさらないでくださいね」が常套句になってます。 名前は自分では付けられません。 だからこそ、親の愛情、子供への思い、親の教養・知的レベル・生き方が如実に反映されます。 キラキラネームが一時の流行病で過ぎ去ってしまうことも、お薬師さんに祈願してきました。 前世物語 美子レポート     魂について  昔々、あるところにマルコという青年がいました。マルコは教会でおじいさんのお手伝いをしていました。石畳の町の人々も手伝ってくれます。きれいな庭には噴水があります。美しい祭壇のある小さな教会です。そこは穏やかで喜びにあふれていました。  亡くなったおじいさんの後をマルコが継ぎました。そこは平和な教会のままでした。  ある時、イスラムの美しい人々がやってきました。灰色の石の町の人々はその美しさにあこがれました。  やがてイスラムの美しい人々も灰色の町の人々も、教会に住む者を憎み始めました。でもマルコはおじいさんを尊敬しています。マルコは独りぼっちになりました。  ある時、灰色の人々はマルコを深い穴に落としました。だれも話を聞いてくれません。マルコは怒り、憎しみに溺れました。  背中に見張りの憎悪の視線が突き刺さります。マルコの憎しみが地獄の烈火の如く深い穴から吹き出します。マルコは衰弱しました。  ある時、見張りに石を投げ込まれました。頭くらいある石をマルコの頭めがけて。恐怖とこれで終れるという安心感の中を、石がマルコの頭を打ち砕きました。それは「いつもの頭痛の場所」でした。  先生はマルコの魂に尋ねました。 「身体を離れましたか?」 「はい」 「身体はどうなっていますか?」 「頭から血が出ています。嫌ですね」 「あなたが死んで身体を離れた時に、何か決心したことはありますか?」  マルコの魂は答えました。 「その場にいた町の人たちに対しては、この人たちは何も知らなかったんだ、と思いました。穴の中にいたときの怒りと憎しみから離れました」  先生はマルコに尋ねます。 「あなたのまわりに何か存在を感じますか?」 「おじいさんが迎えに来てくれています」 「おじいさんは何と言っていますか?」 「ご苦労さま、といういたわりの言葉をかけてくれました」 「イスラムの人々に対して、今、どう思っていますか?」 「もう許しています。彼らも何も知らなかったんだ、と」  先生はマルコの魂を高みへと導きました。 「上へ高く高くあがります。高くあがったところから下を見ると、マルコの人生が一本の道のように見えます。そのマルコの人生を高いところから見て、何か気がつくこと、感じることはありますか?」 「もう少し積極的に動けば良かったかなぁ・・・」  先生はもっと高みへと導きました。 「では、もっともっと高く高く上にあがります。高く高くあがったところから下を見ると、マルコの人生が一本の道のように見えます。そして今のあなたの人生が一本の道のように見えます。ふたつの人生が近寄ってきて平行に並びます。マルコの人生と今のあなたの人生をその高い高いところから見て、何か気がつくこと、感じることはありますか?」 「もう少し自己主張をしなくては・・・。自分の考えを積極的に知ってもらう努力をしなければいけませんでした」  先生はさらに高みへと導きます。