2014年5月20日火曜日

おはようさん 2014.5.19.

最近、お風呂 de Kindle で隆慶一郎さんの時代小説を興奮しながら読んでいます。 隆さんの作品は20年くらい前に、やはり興奮しながら読みあさったことがあります。 今回、ふとしたことでマイ・リバイバル! 私にとっての時代小説は「隆慶一郎」ただひとりでございます。 隆慶一郎をググると・・・(Wikpedia) 隆の小説作品の特徴は、人物描写でもとりわけ男の生きざまや人情を書くのに非常に秀逸な点が第一に挙げられ、その内容も大衆文芸としての要所を確実に抑えつつも極めて良質な仕上がりを見せている。また、網野善彦らの中世近世史研究を大胆に取り入れ、これまで描かれなかった非農業民を中心とした庶民の歴史を描くことに成功している。 彼の作品の中で一番好きなのは「死ぬこととみつけたり」 葉隠れを題材にしています。 今、読んでいるのは「一夢庵風流記」 どちらも「死人(しびと)」を描いています。  武士たるもの、かくあらん に魂が震え立ちます。 死人は、生死を超えて、ただ生きがい・天命に忠実に突き進む生き様を見せつけてくれます。 今、なぜ再び「隆慶一郎」の死人作品を読みたくなったのか・・・ きっと以前より私自身も死人に近づけたからじゃないかな、と密かにほくそ笑んでいます。 死人は死に場所を求めています。布団の上で死ぬなどまっぴら御免。 いくさ場で死ぬことを切望しています。 ここで間違えてはいけないのは、死にたいとも生きたいとも思っていないことです。 いくさの中でしか自分の存在が存在することを自覚できない・・・ いくさの中にいる自分がホンモノの自分だと知ってしまった・・・ いくさで生きるも死ぬも天の知るところ。 己はただ自分自身を生ききるのみ。 それが天命であり、天職であり、生まれてきた意味であり、死してこの世に何かを遺す意味なのです。 (こういう書き方をすると、真意がくみ取れないで曲解する人もいるだろうけど・・・) 死人 そう「いくさ人」には、今の世ではなかなか出会えません。 人生を振り返ってみても・・・いない・・・坂井信幸君くらいかなぁ。 そして、藤本蓮風先生も「いくさ人」の匂いがプンプンしています。 鍼狂人。 たしかに「いくさ人」です。 男が男に惚れる。男惚れ。 それがいつまでも続くなんて思ってもいない。 なぜなら互いに「いくさの中」に生きているから。 もし互いに槍の穂先を立てあえたら、最高の死に場所になるのだが・・・なんて本気で思ってる。 「いくさ人」は縄文人です。 ヤマト 伊勢神の弥生人は死人にはなれません。 「いくさ人」は出雲神の末裔です。 神々とも、天命とも常に「いくさ」し続けながら生き、死んでいきます。 神々と戦い続けながら、神々からの使命を果たさんと生き、死んでいきます。 縄文人の狩猟とまさしく同じです。 だから、熊も鹿も神の化身なのです。 宇宙の風を、大地の鼓動をより感じ取った方が生き残る世界です。 そして、死した方も大いなる歓喜の中にいるのです。 (このあたりは・・・蓮風先生にしかわからないかも。わかった人は、あなたも「いくさ人」かも) 私もやっと、患者さんの百会を介して、その人の宇宙を感じ取れるようになってきました。 これからどんないくさが待ち構えているのか? それを思うとワクワクしてきます。 前世物語  さて人間世界の法則を見てみましょう。善悪、損得、優劣・・・二元性を如何にコントロールしようか、と人間は苦心惨憺してきました。人間が法則を作る時、必ず二元性が入り込みます。人間社会が複雑になるほど、人間の作りだす法則は複雑になり美しさを失っていきます。自然の掟を無視して宇宙の法則を乱すのです。  宇宙の法則の微かな揺らぎは地球を瀕死の状況にまで追いやります。それでも人間は二元性の世界を謳歌しています。善悪が地球を厚く厚く包み込んでいます。神様がその気になれば、バベルの塔を破壊したように自然の掟のほつれを直すことなど訳ないでしょう。でも今のところ、人間が罪から学ぶのを愛でておられるようです」  私はつい神様という言葉を使ってしまいました。先生は私の目を読んで言いました。 「いいんだよ、美子さんが言っている神さまは日本人特有の八百万やおよろずの神様だろう。ここは日本だからね、ともかく今日はファジーに日本の神さまと言うことにして話を続けてください。この話は各人各人が自分の信じる神さまを当てはめて考えても、そんなに違いはないだろうから。いい加減なようだけど私の神さまはとてもファジーなもので、どうも杓子定規に考えられないんだ」  先生の神さまはギリシャ神話の神々がベースのようです。そしてここ数年、神道にも詳しくなったようです。ワークの部屋には神社の御札が置いてあります。朝、先生がブツブツ言いながらお祈りしている姿を何度も見かけました。柏手かしわでが素人ではありません。後で何をお祈りしていたのか、聞いてみたことがあります。 「禊みそぎ祓はらいの詞ことばだよ。柔道着の黒帯をギュッと締めるようなものかな。今日も良いワークが出来ますように、ということだよ。祝詞も勉強したことがあるのだよ。だからね、神社でお祓いをして頂く時、神主さんの祝詞がよくわかっちゃうんだ。この神主さんは真面目にやってくれているな、とかね。今度一緒に神社巡りに行こうか。楽しいよ」  なんてバカなヤツなのでしょう。私はおかしくて大笑いしました。先生も笑っています。でもフッと先生とタンデムして神社巡りをしている私の姿が浮かんできました。深い森の中の神社に着いて青色のヘルメットをとった私です。私は笑いながら頭を振りました・・・まとまっていた髪がサラッと美しく揺れて長く広がりました。 「私の髪が長いの・・・? そう、きっと先生にそそのかされて髪を伸ばしたのだわ・・・私って単純ね」  そんな思いを振り払うように私はもう一度頭を振って話を続けました。