2014年5月15日木曜日

おはようさん 2014.5.15.

今日は満月さん。 今週、押し寄せて来た狂燥の女性患者さんたちは、この満月を無事に乗り越えられるのかしら? と朝から気を揉んでいました。 幸いにして今日は曇り雨。 気温も平年並に戻りました。 昨日は散々だった狂燥症状も、今日は一転して落ち着いている方が多く、とりあえずホッとしました。 最も重症だった方は、朝から蓮風先生の漢祥院へお願いして、今日の午後から診て頂けました。 これも運ですね。 急性疾患の時、天が見放していない=運がある人は救われます。 この運 普段の信仰の厚さだとか、善人だからだとか、学歴や財産があるからとか・・・如何なる確定要素とも関係性はうかがい知れません。 善人だから救われる・・・ことがないところが、この世の儚さであり、生きる面白さなのかもしれません。 この狂燥の方も蓮風先生に「治る」と言っていただき、私もホッとしました。 私の今日の鍼は神道(GV11)へ。 こころを静める安心作用の穴です。 実は明日、もう一件、狂燥の方を初診することになっています(先日、家族から相談を受けました)。 これを含めて、今週の狂燥騒ぎで、私のこころもザワザワ&ヘトヘトでした。 さすが蓮風先生です。見事に本当の穴に鍼をしてくださいました。 いつもいつも感謝&感謝です。 神道の鍼がよく効いていて、今はもう何の心配もなく、狂燥の患者さんたちに向き合っていけそうです。 今日も蓮風先生の漢祥院へ末期癌の患者さんが初診されていました。 大学病院ではもう手立てがないので・・・最近は大学病院の先生から直接、紹介される癌患者さんが増えています。 そして、蓮風先生の鍼の効果が、腫瘍マーカーの改善・画像上の腫瘍サイズの縮小といった目に見える形で実証されて来ています。 私が鍼をしている乳癌末期のおばあちゃんも、抗ガン剤で抜け落ちていた眉毛が今は黒々と生えて、とても元気になってくれています。 癌には鍼が効く。 このことがもっと世に知れてくれると、鍼灸師たちももっと真剣に&命がけに勉強・研鑽して癌鍼に取り組んでくれるでしょう。 日本の鍼灸は末期癌をたくさん治しているらしい・・・世界中から日本の鍼灸を求めて、癌や難病の患者さんたちが集まってくる・・・そんな近未来を夢見ています。 前世物語 「そうだね、これは患者さんの前や講演会では言わないようにしておくよ。また良いのが思いついたら聞いてね。美子さんの批評には愛があるから落ち込まないけれど、看護婦さんたちは好き勝手なご批評をしてくださるから、それはもうガックリくるからね。これは内緒だよ、ただでさえ美子さんにだけは陰口を言うんだから、と釘を刺されているのだからね。バレたらまたお仕置きされちゃうもの・・・。さてと、他に質問はあるかな?」  看護婦さんたちから先生に内緒で言われていることがあるのです。 「美子さん、先生が毎日、すごいストレスを浴びているのがわかるでしょう。先生はそれをずっと外に出せないできたのよ。毎日毎日、先生を見ているとね、わかるの。それまでは今日の天気予報、みたいに先生の顔色を伺っていたこともあるのだから。それがあなたが来て以来、先生の心はとても安定したわ。何だか心に支えが出来たみたいなの。先生はあなたに心を全開にしているわ、それは私たちが一番よく知っているわ。美子さん、あなたが先生のストレスを開放してくれているの。ホントに感謝しているわ。あのままだったら先生は倒れていたと思うもの。だからみんなからお礼を言いたいの。ありがとう、美子さん、よく来てくれたわ。あんな先生だけど、これからもお世話、よろしくね」 「こちらこそ、ありがとうございます。私、がんばりますから、これからもいろいろ教えて下さいね。お陰で私の仕事がひとつはっきりとしてきました。先生の心の窓みがきと魂のランプの給油ですね。任せておいて下さい。毎日、患者さんをしっかりと照らせるように磨き上げときますからね」 「それとね、先生ね、悪口を言わないように自分を縛りつけているから、たまには私たちや患者さんたちの悪口を言わせてあげてね。美子さんには言うと思うの。溜まってくると毒になって心を蝕むからね。嫌な役目だけど、これは美子さんにしか出来ないの、だからお願いね」  私は質問を考えているふりをしながら、先日のレディ・ミーティングを思い出していました。そうとは知らない先生の方から尋ねてきました。 「このワークでは罪についてのコメントがあったよね。そのメモからちょっとまとめてみてくれるかな」  私はメモに矢印をしたり書き入れたりしながら報告を始めました。 「生まれる前にわざわざ罪を犯すことを計画したのか? それとも人生を歩む上での失敗が罪となったのか? つまり罪は人生計画に組み込まれていた先天的なものなのか、後天的なものなのか?  答えは『すべての問題は自分で作って、自分で解いている』でした。そして『悪いことをする、悪い人になる可能性がある、ということを含めて、その人生を選ぶ。その悪人になる方に行かなくてもいいし、それを選んでも、ただ課題となって残っていくだけのこと』だそうです。  次に『悪い魂、汚れた魂はいない』と断言されました。『すべての魂は修行をしようとして生まれて来るが、その方法をあやまる魂はいる』のだそうです。それでも『悪人の道を選んだというだけ』であって悪い魂ではないのです。そして『どんな魂でも悪人の道を選んでしまう可能性はある』のだそうです。  良い魂・悪い魂、出来の良い魂・出来の悪い魂の区別はなく、『魂は一緒』なのです。修業の早い遅いも関係ないのです。  それぞれの魂に必要のある問題とない問題があるのか?