2014年5月18日日曜日

おはようさん 2014.5.18.

今日は北辰会のお勉強&実習でした。 先週、漢祥院の蓮風先生にご紹介して診て頂いた狂燥の女性は、やはり手指先の刺絡と照海への補法鍼だったそうです。 今朝、蓮風先生が会場に来るなり「この前の方、とても良くなって、昨日はおひとりで来られましたよ」と教えて下さいました。 あの狂燥状態だった方が3回の鍼で普通に戻るなんて! 運命の神さまが微笑まなかったら、今頃は精神科の薬をたっぷり飲まされて・・・人生が終わっていたかもしれません。 もちろん狂燥に至った根本原因に、これから本人も家族も向き合っていかなくてはならず、そのストレスを考えると、これからもずっと定期的に蓮風先生の鍼を受け続けなければなりませんが、それでも精神薬漬けになるよりはいいでしょう。 今週初めの狂燥の5人の方々の中には、運命の神さまが微笑まなかった方々もおられます。 神さまが誰に微笑んで、誰に微笑まないのか? 私にはさっぱりわかりません。 愛でも、幸でも、笑でも、輪でも・・・もちろん財でも位でも奉でもありません。 その答えを追い求めて、難行苦行の末、我死を何度も乗り越えた先に聞こえてくるのは きっと「面白いから」でしょう。 光さんの口癖「今を楽しみなさい」の奥底には、光さん自身の そんな残酷な「面白いから」の笑い声が響いているのです。 そんな難しいこと、神さまの虚無の影に近づきすぎたせいでしょうか? 最近、自分の顔色の悪さに「そろそろ・・・かな」と覚悟を決めていました。 目の下のクマが末期癌患者さんにしばしら見て取れるクマによく似ていたからです。 今日の北辰会定例会の午後の実習で、蓮風先生に被験者になるように指示されました。 蓮風先生にじっくりと体表観察していただいて・・・ 「筋縮(GV8)か神道(GV11)への鍼かな?」と思っていたら・・・ 後頭部 風府(GV16)ー瘂門(GV15)の辺りにツンツンツンツンと刺絡をしていただきました。 (さすがに自分では見られない・・・残念) 邪血を絞り出していただいていると・・・あら 不思議 鼻腔がペパーミントのような爽やかな香りに充たされてくるじゃぁありませんか! これは邪熱が一気に解放されていくために起こった幻臭ですね。 それくらい邪熱が抜けていくのは快感でした。 痛み? まったく感じませんでしたよ。 刺絡が終わると、実習の先生方が一同に「顔色がとても良くなった!」と驚いていました。 血が昇ったような赤ら顔+瘀血のくすんだ黒色がきれいになくなってしまったのでした。 トイレの鏡で自分の顔を見て、確かに納得! 気になっていた顔色の悪さ・目の下のクマがなくなっていました。 刺絡 恐るべし(*^^)v これも運命の神さまの微笑みでしょう。 蓮風先生に今日、刺絡をしていただかなかったら、脳卒中で倒れていたかもしれません。 癌が免疫防御を破って、初期癌への増殖を始めていたかもしれません。 さすがに帰宅してからもずっと眠くて眠くて・・・今夜は早く休みましょう。 私の中で、刺絡が解禁された日となった今日という日でした。 前世物語 「すばらしいよ、美子さん。ここまでの考察は見事だよ。花マルあげるから、そのままレポートにして おいてね。出来たら私が責任者としてサインしてあげるからね。さあ、ここからは一緒に考えていこう ね」 「先生はどんなことがあっても私を守ってくれるんだ」  私はそう実感しました。先生の勇気と骨太の愛が私の心の中にストーンと入ってきました。何の抵抗もなく、何のためらいもなく・・・。 「この世の人間はすべて罪を犯す可能性があるのだね。それは原罪論の『人間は生まれながらに罪深きもの』そのものだと言えるかな。私はクリスチャンではないのでキリスト教の原罪はよくわからないんだよ。わからないことを持ち出すのはよくないから、ここではキリスト教以前のギリシャ哲学的に考えていこうね。  『人間は生まれながらに罪深きもの』は真実だとしよう。そしてこのワークからわかったのは、人間は人生から多くを学ぶが、その学びとは己の罪からでさえ学ぼうとするほど貪欲な本質なんだね。  美子さんは、人間が罪を人生に練り込まなかったら罪から自由だから人間の本質は性善説だ、と言ったけど、私もそれは正しいと思うよ。この人間の本質とは魂と言い換えても良さそうだね。つまり魂の本質は性善説なんだ。  さてこの世の中をもう一度、性善説の魂の目で見てみよう。ウッ・・・吐き気がするよ。ひどいもんだね。悪意と偽善、嘘と欺瞞が渦巻いているよ。考えられるすべての罪がショーアップされているよ。こんなところに魂は何しに来たのだろうね。よほどの決心がないと来れないよ」  先生はダンゴ鼻をつまみながら言いました。私は笑いながら何かが閃きました。先生はアレを言わせようとしてる? そう思いながら私は続けました。 「この鼻つまみの世界の元凶は人間です。人間がいなければ、植物も動物も悠久の時の中で調和して生きていくことでしょう。いえ、人間だって自然の一員として調和して生きていた時代もありました。すべてが調和している世界では罪はありません。生きるために植物や動物を殺しても罪ではありません。そこには罪の意識がないからです。罪の意識がない世界は善悪のない一元性の世界です。例えば動物にとって弱肉強食や適者生存は善でも悪でもないのです。生後間もない子鹿を襲ったライオンが他の動物から非難されることはありません。私たちは人間界から見れば罪に当たることでも、動植物界の中では自然の掟と呼んで我々の罪の意識の外へ置いています。自然の掟の中では罪はその存在を保てないのです。なぜなら自然の掟にすべての動植物が従っています。すべての動植物が従う根本法則が例え罪だとしても、そこにはもはや罪の意識は存在しません。罪は存在し続けられないのです。そして自然の掟は宇宙の法則の一部でもあるのです。  物理法則に善悪はありません。しいて言えば物理法則は美しく単純だということです。弱肉強食も適者生存も、この地球の動植物たちを見ていると美しく単純な法則で調和しています。物理法則が美しく単純であるためには法則に仮定や例外があってはなりません。物理法則は一元性の中になければならないのです。