2014年5月7日水曜日

おはようさん 2014.5.7.

夜昼の寒暖の差が激しくて、体調の悪い方がとても多かった連休明けの外来でした。 風邪を引くというよりも、何だかだるい・しんどい・疲れてる・・な症状で、腹診してみると、皆さん、腎虚・脾虚な冷えが原因でした。 特に臍周 大巨・天枢・滑肉門の奥に酷い冷えが潜んで、コソコソと悪さをしている症例が多く見つかりました。 寒邪というよりも、いわば「なごり雪」みたいな冷えですので、鍼で払うよりもヘソ灸で温めて、身体の中にも、経絡の中にも暖春を招き入れてあげた方が調子が良いようです。 「家で自分で千年灸をしてもいいですか?」という方々もおられます。 もちろん OKなのですが・・・さて、ご自分でどこに灸すればいいのか、おわかりになりますかしら。 鍼灸の本、穴の本を見ると、それぞれの穴の位置が論理的に書いてあります。 例えば・・・天枢:へその中心にある神闕の両脇二寸にある。  でも、実際に触れてみると、同じ天枢でもその日の体調・病状によって、かなり動くのが分かります。 上下左右の二次元だけでなく、深い浅いの三次元に、更に前・今・これからの時間軸の四次元に穴は動いていきます(←これは夢分流打鍼をしてると分かります)。 この「これからどうなる?」が大切で、これから邪気となって暴れるなら鍼で払っておかなくてはならないし、これからも虚した冷えが居座りそうなら灸で暖じて昇華すればいいでしょう。勿論これから放っておいても良くなるのなら手出しは無用ですね。 昨日、先生がヘソ灸をしてくれたので、今日も家でヘソのまわりに千年灸をしましょう・・・もいいですが、効果がない場合も、下手をすると逆効果になることもあるので・・・「う~ん、自己責任でするのはいいけれど・・・むつかしいよぉぉ」と答えることにしています。 GWの二泊三日のツーリングで、クラッチを握っていた左手が今日はモワッと膨らんでいました。 手の感覚はいつも通りなのに、まるで雲の上に浮かんでいるかのようなモワモワ感で。 左手にとっては千日回峰行だよなぁ・・・ 患者さんの腹診をしながら、深いところに潜む邪気を引き寄せて祓ってしまう左手さんに驚き、感謝した今日でした。 前世物語 「未来を見る意味は、ただ意識をそれに向けてこの人生で努力すればその未来が叶う、ということ。それは国でも同じこと。このままの状況ではいずれこうなる、ということであって、国の中の何かが変われば未来も変わっていく」  先生は目を閉じたまま私に続きました。 「未来は揺れ動き、未来は無限の可能性を秘めているが、未来は今そのものなのだ」  私も目を閉じてゆっくりと時を眺めてみました。過去も未来も今この時に収束されていく姿が見えたような気がしました。先生は毎日のワークで絶えず時間を見つめています。いつしか先生には時間が見えるようになってきたのかもしれません。 「美子さん、今日のワークの最後のメッセージ、『私はお前の魂だよ』の意味はどう思いましたか?」  先生は個人指導の教授のように尋ねました。私も自然と彼の生徒になって答えました。 「光の中心にいる人たちはマスターであれ神様であれ、本当はすべてが自分の中にいるのではないか、と思います。自分の内なる声、魂の声ではないでしょうか? だからメッセージは元々自分が知っていたこと、薄々思っていたことだ、と感じるのです。個々の存在は魂を介して大いなる存在、神様と繋がっており、そこではすべてがひとつ、ワンネスなのです。元々がひとつ、なのではなく、今この時のみんながワンネスなのです。  心が開くと魂からの声が聞こえてきます。その魂は個人的なレベルからソウルメイトと呼ばれている小集団へ、人類の集合意識を経てすべての集合意識へ、そしてひとつの意識であるワンネスへと深まっていきます。個人の魂からどの声も聞こえてきますが、それがどのレベルからの声かによって内容が異なってきます。レベルの深いところからの声ほど、メッセージの内容もグローバルで簡潔になっていくようです。深いレベルからの声は決して難解なものではありません。物理法則みたいに例外なく、あまねく人々に共通するメッセージなのです。その言葉は簡素で美しく、エネルギーに満ちたものなのです。これが真理というものなのでしょう。『私はお前の魂だよ』というメッセージは、この真理のことを指していると思います。そして人々の心の持ち様に合わせて、その真理はあらゆる表情を見せてくれます。  ともかく心を開くことです。心が開けば誰に教わるでもなく、誰にでも真理が伝わってくるのです。心を開いて耳を澄ませましょう。きっと魂を通って大いなる存在や神様、そしてワンネスからの真実のメッセージが聞こえてくることでしょう。  真理を人に求めてはいけません。人から求められても強制すべきものではありません。真理はひとつですが魂の数だけ、心の在りようだけ顔を持っているのです。人間ひとりにひとつの顔ではありません。喜怒哀楽があるように、百八の煩悩があるように、魂の顔も無限に在るのです。だから、人が真理の本質を教えることは出来ないのです。悟ったと思っているのは真理の一顔だけなのです。それを高く掲げてはなりません。真理を悟ったと思った瞬間が真理へ最接近した地点なのです。真理の悟りを手放さない限り、再び真理に近づくことは出来ません。無知であること、無知という知恵のみが真理へと近づき続けるために必要なのです。 そして宗教とは人々が心を開き魂の声を聞けるように導くためにあるのです。ある宗教者の得た真理の一顔を真理を探求し続けている者たちに決して押しつけてはならないのです。パンを与えてはなりません。小麦の種と育て方、パンの焼き方を教えてあげるのです。辛い道程ですが、来年には彼ら独自のパンを焼いてくれるでしょう。神様はパンの量よりも、その種類の多さに祝福をくださるのです」  私は一気に答え続けてしまいました。頭が真っ白です。何を喋ったか、よくわかりません。そう気がつくと、また急に涙があふれてきました。とても温かな涙です。とても幸せな涙です・・・先生がそっとハグしてくれました。私の魂の光がはっきりと見えました。眩しい光です。その光がどんどん大きくなっていきます。そして私の魂が光でいっぱいになりました・・・光に包まれた私の涙は止まりました。 その日、私は心の開き方をマスター出来たのです。