2013年11月7日木曜日

おはようさん 2013.11.8.

木曜日の午後は藤本漢祥院で蓮風先生に鍼をしていただいています。 今日は筋縮(GV8)へ。 2回目だけど、今回は手足がバラバラに、まるで舞踏病のように踊り出す感覚がして・・・ただいま、体中がバージョンアップ&再構築リセットNOWな感じです。 なんだか五重塔の解体大修理みたいな・・・50年あまり使ってきた身体の解体大修理が始まった感覚です。 お疲れモードMAXなので、今日は「前世物語」からひとつ、とっておきの症例をご紹介しますね。 池川明先生が大喜びしそうな症例ですよ。   ゆびきりげんまん 昔々、青葉の美しい城下町に、サチオという男の子がいました。 優しいお母さんと二人で暮らしていました。 サチオのお母さんは「今の亡くなった娘」です。 十六歳の時、サチオは外国へ奉公に行きました。 母は泣きながら駅で見送ってくれました。 「行かないで、サチオ!」 彼は決心しました。 「絶対、戻ってくるぞ!」 時が過ぎて、サチオはヒマラヤで暮らしていました。 妻のマーシャと男の子がいました。 黒いクルクルした髪がかわいい男の子でした。 この子は「今のお父さん」です。 妻も子供もサチオをとても愛していました。 ある時、子供が心臓の病気になりました。 近くに病院はありません。 マーシャは神様に祈り続けました。 「何とかして、この子をお助け下さい」 サチオは自分で薬草を採りに行こう、と決心しました。 初めての薬草採りです。 彼は妻と子供に約束しました。 「絶対、採ってくるからね」 でも、サチオは戻りませんでした。 もう少しのところで高い崖から滑り落ちてしまいました。 彼は死にました。 サチオの魂をお母さんが出迎えてくれました。 「もう、いいんだよ」と優しく抱きしめてくれました。 私はサチオと母の魂を高みへと導きました。 そしてサチオの人生と「今」生きている人生を見比べてみるように促しました。 サチオの魂が言いました。 「人を助けないと。私は人を助けなくてはいけません」 私は更に高みへと導きます。 「そこから上はどうなっていますか?」 「雲の上に誰かいます」 「どんな人がいますか?」 「男の人です。神様みたいな感じです」 「では、その人に聞いて下さい。私の今回の人生の目的は何ですか?」 神様が答えました。 「無理をしたらダメです」 「それはどういうことですか?」 「人のことを気にしないで、人のために、助けてあげなさい」 私は神様に頼みました。 「あーちゃん(亡くなった娘)に会わせてください」 神様が微笑みました。 「出て来た・・・。歩いてます。ママって・・・」 「しっかりと抱きしめて、思いっきり言いたかったことをお話してください」 「・・・ごめんね。守ってあげられなくて」 お母さんはすすり泣いています。 「ううう・・・寂しくないって」 私はお母さんの代わりに尋ねました。 「お母さんのこと、恨んでる?」 あーちゃんが答えました。 「ぜーんぜん」 「あなたを殺しちゃったと思ってるんだけど、恨んでない?」 「恨んでないよ」 「あなたを元気な子供に生んであげられなかったんだけど、怒ってないの?」 「怒ってないよ」 「あーちゃんは元気にしているの?」 お母さんが答えました。 「元気です。飛んだりもしています」 「なぜ、病気の身体で生まれてきたの?」 「神様にお願いしたんだ」 「あーちゃんが決めたことなの?」 「そうだよ」 「お母さんが悪いんじゃないの?」 「違うってば」 「あーちゃんは死ぬことがわかっていたの?」 「全部わかってたよ」 「死ぬ時、お母さんを恨んだでしょう?」 「苦しくなかったよ」  「あれは、あーちゃんが決めた人生だったの?」 「その通りだよ」 「もっと生きたかったんじゃないの?」 「あれで十分だったんだ」 「あの人生で、あーちゃんは何を学んだの?」 「お母さんに、いろんなことを教えようとしたんだよ」 「いろんなことって何を?」 「人と比べないで、ゆっくりすることだよ」 「お母さんに出来るかなぁ?」 「きっと出来るよ」 「今、苦しんでない?」 お母さんが一番心配していたことです。 「すごく楽しいよ。ピョンピョン跳ねています。ママとダンスを踊ろうって言っています」 「じゃあ、そこで踊って下さい」 お母さんの手がゆっくりと動きます。 「本当はこうやって遊びたかったのです」 「そこでいっぱい遊んであげてください」 「すごく喜んでくれています」 私は神様に尋ねました。 「あーちゃんは、今、幸せですか?」 神様が答えました。 「幸せだよ。任せておきなさい」 「私の人生はこれでも順調ですか?」 「順調だよ」 「子供を亡くすことは決まっていたのですか?」 「決まっていた」 「誰が決めたのですか?」 「ずっと前から決まっていた。・・・宇宙が・・・」 「あーちゃんの死から何を学ぶのですか?」 「命の重さです」 「あーちゃんがお母さんを選んだのですか? それとも、お母さんがあーちゃんを選んだのですか?」  元気な娘が答えました。 「あーちゃんが選んだんだよ」 「なぜお母さんを選んだの?」 「お母さん、頼りないからねぇ」 「お母さん、そんなに頼りないの?」 「でも、だいぶん、しっかりしてきたよ」 もう一度、神様に聞きました。 「私は今まで何回生まれ変わりましたか?」 「十六回」 「その内、あーちゃんとは何回一緒の人生を送りましたか?」 「十六回」 「ずっとあーちゃんと一緒なのですか?」 「そうだよ」 「あーちゃん、ずっとお母さんと一緒だったの?」 「知らなかったのって」 私は神様にお願いしました。 「今回の人生の目的をクリアー出来た、未来の私の姿をちょっと見せて下さい」 「おばあちゃんになって、毛糸を編んでいます。ニコニコしています。子供たちも孫たちもまわりにいます。また次ぎに生まれてくる孫のために何かを編んでいます」 「その未来のあなたから今のあなたに何かアドバイスをもらいましょう」 未来の彼女が答えました。 「何か他のことにエネルギーを注ぎなさい」 「あなたは何をしたの?」  「特別なことではなくって、障害児の子供や親たちと仲良く一緒に時間を過ごしてあげているだけです。それだけでも助けになるのですよ」 「そこにいる孫の中に、あーちゃんはいますか?」 「いる!」 「そのあーちゃんに聞いて下さい。生まれ変わってきたの?」 「そうだよ、わかったって言っています」 「なぜ?」 「ママのこと、好きだから」 「未来のあなたに聞いて下さい。あなたも応援してくれますか?」 「もちろん」 「孫たちにも聞いてください。みんなも応援してくれる?」 「がんばれ!って言ってくれています」 「神様に聞いて下さい。特別なことじゃなくって、障害児の子供や親たちと仲良く一緒に時間を過ごしてあげる、ただそれだけで良いのですか?」 「積み重ねることが大事なのです」 「あーちゃんに会うために、早く死んでもいいかなぁ?」 「絶対ダメ」 「もし早く死んじゃったらどうなるのか、見せて下さい」 「スーッて下の方に落ちていきます。真っ暗です。ずっと上の方に光があるだけです。狭くて深い井戸の底みたいです。誰もいない・・・。死ななければ良かった・・・。後悔しています。あーちゃんは上の方にいて、ここからは声も届きません」 「では、もとの神様の所へ戻ります。そして、あーちゃんに聞いて下さい。またお母さんの所に生まれ変わってくるの?」 「うん」 「あーちゃんをしっかり抱きしめながら聞いて下さい。お母さんを見守ってくれる?」 「いいよ」 「どうしたら、あーちゃんを感じられるかなぁ?」 「あたたかい風があーちゃんだよ」 「本当にお母さんを恨んでないの?」 「大好きだよ」 「ギューッと抱きしめて、そのあーちゃんのエネルギーを持って帰りましょう」 「ちょっと痛いって言っています」 「神様は何と言っていますか?」 「よく会いに来てくれました」 「私にやっていく力はありますか?」 「辛いけど、がんばりなさい」 「その力が私にありますか?」 「あるからこそ、あーちゃんが生まれたのだよ」 「辛い時、あーちゃんに会いたい時、またここに来ても良いですか?」 「いつでも良いよって」 「あーちゃんは何と言っていますか?」 「またダンスしようって」 「あーちゃんを抱きしめて、そのあーちゃんのエネルギーを持ったまま、あーちゃんを神様に預けましょう。神様は何と言っていますか?」 「心配するな」 「神様としっかり握手します。あーちゃんをもう一度抱きしめます。あーちゃんに約束しましょう。お母さん、がんばるからねって。あーちゃんは何と言っていますか?」 「ゆびきりげんまん・・・」 そして、お母さんは娘のエネルギーに包まれながら、「今」この時へと戻ってきました。 ある時、お母さんからお手紙が届きました。 催眠療法を受け、あれほど会いたかった娘(それも元気な姿で!)を抱きしめられたことは、一生忘れることはありません。 ずっと娘を守ってやれなかった、という想いが私自身を苦しめ、前を向くことを拒んでいました。 でも娘からのメッセージを受け取ることが出来て、心がスッキリとしました。 娘に恥かしくないように生きていこう、という力が湧いてまいりました。 まだ気持ちの波はありますが、落ち込みそうになった時は、いつも雲の上を眺めて、そこに娘が立って手を振ってくれていると思うと元気になれます。 この本が出来上がる直前に、お母さんから、また、お手紙を頂きました。 ただただ、娘に会えたことが嬉しくて、元気な普通の女の子の姿をしていたことがこの上なく嬉しくて、娘を失ってからの三年というもの、何をしても誰と話しても決して癒されることのなかった私が、あの一瞬でウソのように何かを吹っ切れる、というよりは乗り越えられたような気がします。 先生の催眠を受けたあと、ボーゼンとしながら京阪に乗り込み京都に向かう途中、電車の中からふと外を見やると、なんと高いビルの屋上のところに大きな看板が「あさひ」と書かれてかかっているではありませんか!!! そうです、あーちゃん、と呼んでいた私の娘の名前は『あさひ』。 もうびっくりして言葉もありませんでした。 まるで娘が「ママ!私ここにいるよ!」と知らせてくれたかのように、夕暮れの美しく染まった空に「あさひ」という大きな文字を見た時には、さすがに、ついさっき受けた半信半疑の退行催眠なるものを信じずにはいられない一瞬でした。 娘が生まれるまでは、何の苦労もなく脳天気に過ごしてきた私ですが、娘が障害児で生まれてからというもの、人の縁というものを深く深く感じ続けてまいりました。 娘は一歳の時に脳梗塞を起こしてからというもの、目も見えなくなり、気管切開で声も失い、口から物を食べることも出来ず、体も思うように動かせない上、十三度もの大手術を乗り越えてきました。 一体、娘は何のために生きているんだろう、娘が「生きて行く」ということ、その本質的な意味を模索する日々でしたが、時には見出すことが出来ず、「一日でも長く生きて欲しい、と思うのは親のエゴかも」と、思い悩む時もありました。 しかし、言葉など使わなくとも、ただニコニコと天使のように笑っているだけの娘を見ていると、 「ああ、この子は自分のためじゃなくって、私や『人のために』生まれて来てくれたんだ」と、心から実感することが出来ました。 その証拠に、娘が生まれてからどれほど不思議な人の縁に出会ったかわかりません。 それは娘が天国に逝ってからもずっとかわらず、届けてくれているようです。 奥山先生との出会い、退行催眠との出会いもまさに偶然のもののように思われましたが、 きっとこれも『あさひ』が仕組んだことなのでしょうね。