2015年2月2日月曜日
おはようさん 2015.2.1.
山川亜希子さんお薦めのOSHOの「死について 41の答え」を読破しました。
カバーには「死を人生の最高の贈り物にするために」というキャッチが付いてます。
OSHOの全著書650冊から、いかに生き、いかに死ぬかのエッセンスを抽出した本だそうです。
私、OSHOを読むのは初めてでした。
これまで縁がなかったのでしょうね。
さて、この本の原題は The Art of Living and Dying
そう、OSHOは死も生もArtのようなものだともとらえていました。
生も死も、如何に上手に描ききることができるか・・・
生と死から自由になれれば、輪廻転生の渦からも自由となり、宇宙意識に還っていける・・・そのためには・・・が何度も繰り返して書かれていました。
OSHOの全著書650冊のエッセンスを読ませていただいたわけですが、なんだかマニ車をクルクル回しただけでわかったふりをしているようでもあり、ブログに書くのはどうかな?
正直な感想だけを少しずつ書いていきますね。
分厚い本を読破して・・・ここはすごい! ここは目から鱗だ!のページを耳折りするクセのある私ですが、このままブックオフに持っていけそうなくらい綺麗です。
別に感動がなかったわけではありませんよ。
最初のページから、OSHOの書いていることに「なるほど、その通りやねえ」「なるほど、ここはそういうふうにも言えるよねぇ」が続きました。
光さんを禅を極めた感性でとらえると、確かにOSHOの言葉のようになりますよねぇ、というご明察なうれしい感じがしました。
ただね、OSHOさん、そんな崇高な理念を唱えても、この世の人たちはついてこれるのかしら・・・OSHOが亡くなったのが1990年だから、その後の20年余りを眺めてみても・・・世の人々の意識レベルは全く上がっていない、むしろ下がっているように思えます。
そう、OSHOの唱えた真理に、どの精神世界のリーダーたちもまだまだ到達できていないということだと思います。
今回の「死について」も、極めて禅的な真理のとらえ方をOSHOはしてますから、どちらかというと最近の光さんの推し言葉「今を楽しみなさい」が浮いてしまうような気もしましたが、それでも書いてあることはどれも真理ですし、言葉の奥にはとても崇高な輝きが見えています。
そのあたりのお話はまたの機会に・・・
亜希子さんが訪問されたインドのOSHOインターナル・メディテーション・リゾートなるものは一体どんなものなのか? にも興味がありましたが、いろいろググってみると、それはまるでイエスや仏陀が亡くなった後を早送りで現代に再生しているように見えました。
OSHOの意識体に「上から見ていて、どう思ってるの?」って尋ねてみたいですね。
「これがこの世の生と死だよ」と自嘲気味に溜息をつくかな。
光の前世療法を介して何度も死ぬプロセスを体験していると、死とはどういうものか? 死に何が起こるのか? がわかってきます。
死というプロセスがわかれば、死後にできることがイメージ出来るようになります。
まだ生きているのですから、「あれをしよう」「これをしたい」と、たっぷりとイメージトレーニングできます。
OSHOの言うように、生への執着を取り払うのはとても難しいですが、死への執着は光の前世療法で取り去る練習ができます。
死後、どうすれば大いなる光さんのところに還っていけるか・・・も習得できます。
大いなる光さんのところへちゃんと還っていけるのだから、ちょいと寄り道して・・・も全然OKなのです。
むしろ光さんはそれを奨めています。だって「今を楽しみなさい」ですからね。
OSHOの生と死の話には、このJOY:今を楽しみなさい が欠けているんじゃないかな、と感じました。
このJOY:今を楽しむことこそが、OSHOの唱えた生への執着を捨て、死への執着も捨てた後の「ただの観照者」のあるべき姿ではないのかな、と思っています。
OSHOはイエスや仏陀、さまざまな宗教の教祖たちと同じように「大いなる真理」を見た人であったと思います。
ただイエスや仏陀、さまざなな宗教の教祖たちと同じように、その言葉も思想も時代のエゴと我欲に飲み込まれてしまっています。
だ幸いなことに、OSHOの言葉は録音され、こうやって本となって直に触れることができます。
ある意味、2000年前のイエス降臨のリニューアル版を体験しているとも言えます。
だからこそ・・・今、何が必要なのかもはっきりと見えてきていると思います。