2015年2月22日日曜日
おはようさん 2015.2.21.
今夜は蜷川幸雄:ニナパパの「ハムレット」を堪能してきました。
シェークスピアはニナパパの真骨頂ですからね、ものすごく期待して会場に入りました。
上演前の舞台・・・もうこの段階で蜷川演出にノックアウトです。
舞台背景は19世紀末の日本。貧しい文化住宅みたいな荒ら屋がコの字に並んでいます。
左手前には手こぎポンプのついた井戸・・・注連縄が張ってあります。
設定は、「シェークスピアが日本で初めて上演された19世紀末の貧しい人たちの暮らしぶりの中で、今の私たちが最後のリハーサルをします」・・・幕が上がると、出演者全員が舞台最前列に並んで観客にあいさつをして・・・このすごい演出に鳥肌が立ちました。
台詞はもちろんハムレットのままですし、舞台設定もデンマークの王宮のままです。でも、舞台背景は19世紀末の貧しい日本家屋・・・それがとてもマッチしていて、不思議な感覚になりました。
途中にも、これはさすがだなぁ まいったなぁ とその演出力の素晴らしさに何度も唸らせていただきました。
とても心地よい陶酔の中、家路へと向かう電車に揺られながら、ニナミカとニナパパのことを考えていました。
ニナミカの写真にも毎回、唸らされます。
彼女の写真から、ピントよりも露出よりも構図よりも何よりパッションが写真にとって一番大切だということに気づかせてもらいました。
ニナミカとニナパパは、その創造力において、とても似ていると思います。
親子だから当然でしょうか?
スポーツでは親が子供をそのつもりで鍛え上げれば、何とか親子鷹になることもできるでしょう。
でも、芸術の世界では、才能、特に創造力がものを言います。
そしてこの才能:創造力は練習で鍛え上げることが・・・なかなか難しいものです。
持って生まれた才能・・・ピカソの子がピカソになることは・・・難しいのです。
しかし、ニナパパ・ニナママ そしてニナミカは分野は違っていても、見事に創造力を継承しています。
その創造力に色があるとしたら、蜷川家の創造力は同じ色をしていると思います。
どうやって引き継いだんだろう?
きっと・・ニナパパとニナママの創造力の色がシンクロし、互いに増幅し合う環境の中で、ニナミカは育ったのでしょう。
何より両親が真の芸術家だったことが幸いしたと思います。
だったら、別の赤ちゃんを蜷川家に放り込んでも、やはりニナミカが誕生したか?
これは難しい問題です。
人は誰でも最初はそれなりの創造力を持っていたと思います。
それが幼少期からのさまざまなストレスと抑圧で急激に弱まってしまいます。
ニナミカになるには、蜷川家+天命が必要なのだろう・・・それが今夜の妄想結論でした。
そしてね、誰もが自分の天命をしっかり生きていけば、それが幸せってもんだと思うのです。