2015年2月5日木曜日

おはようさん 2015.2.4.

立春だぁ\(^^@)/ 今日はお日さまニコニコな上天気でした。 昨日、頓死したアイポン6君を心斎橋Applestoreに持って行かなくちゃぁ・・・光さんも今日の上天気の下、しっかり歩きなさいよ!って、アイポン6君にイタズラしたのかしら? 昼近くまで待たなければならなかったのに、ちょうど手のあいた店員さんと目が合って、ほいほいほい!と30分ほどで治してくれました。 その後、ちょっとデパートめぐりをしながら、梅田までテクテクお散歩しました。 高級ブティックや高級外車屋さんがいっぱい・・・すると光さんが肩越しに「みんな、高級なモノで飾り立てないと、自分に自信が持てない哀れな人たちだね」と話しかけてきてくれました。 「(自分に自信がない=自分を愛せない=自分を許せない=自分をあるがままに認められない だから)♪ すべては~フェイク! ♪ になるんだよね。フェイクな愛はもっと&もっとちょうだい! もっともっと速く&高く&強く! もっと&もっと!」 「もっと&もっとのモノを持ってるから、うれしい。これが悦びのJOYだ。モノを使って楽しめれば、楽しむJOYになる。わずかな違いなんだけど、この世では越えがたい距離を創ってしまってるね」 「このお店たちがモノを売るのではなく、魂の輝きや生の楽しみをガイドするお店たちだったら、氣も光もキラキラキラリンなんだろうなぁ」 「縄文の人たちの市場はね、いろんな食べ物、さまざまな薬草、創意工夫された狩猟具、アイデアが爆発してる土器・・・お金はもちろんないよ・・・儲けようとか得しようって誰も思ってない・・・まるでアイデアのお祭り・・・なるほどなぁ! そうか! の驚きとワクワク感が満ちあふれた市場だったんだよ。だからみんな、楽しんでたよ。生きることが楽しくてしょうがなかった人たちだ」 「だから、自由な人たちは今、縄文に惹かれるんだね」 今日のお散歩は12700歩 よ~く歩きました\(^^@)/ 夕方、深野師匠から「今日はお稽古日ですよ」とお知らせが届いて(来週だとばかり思ってました) 急いでバイクに乗ってお稽古へ向かいました。 その途中・・・高速道路を走っている時に、光さんが話しかけてきてくれました。 「ちょっと 怖い! って思ってみてごらん」 「・・・ひゃぁぁ こんなスピードで・・・怖い!」 「よしよし。どんな感じやった?」 「足がすくむって、こういうことでしょうね」 「普段はその怖さを忘れてるのかな? 感じないようにしてるのかな?」 「慣れてしまって、感じなくなってるのでしょう」 「バイクに乗ったことのない人たちは、怖い!と思ってる。バイクに乗ってる人は、楽しい!と思ってる。どこが違う?」 「やってみないと楽しさはわからないってことですか」 「バイクに乗ってなくても、他のことで楽しんでいる人は、バイクも楽しいやろうなって思ってるよね。許してるし、認めてる・・・愛だよね。 楽しみを知ってしまった人は、その後から怖さを体験しても、怖さを手放してしまうことができるでしょう。 怖さを忘れたり、怖さに触れないように封印しているわけじゃないよ。 怖さも認め、それでも許して信じている・・・怖さを愛で包んで、自分の感情のひとつとして、他の感情と一緒に並べているよ。 バイクを楽しんでいる人のお話だけど、生きることも同じだよ。 生きてみないと、生きる楽しさはわからない。 生きてみれば、死がどういうものなのかもわかってくる。 生き方によって、死もいろいろあるってことだね・・・まだこの世では。 生きようとさせないから、生きる楽しさを気づかせないのが宗教だったわけだ。 ずっとずっと それでよかった。 でも、今は違う。新しい時代への分岐点がきた。新しい光の世界と古い闇の世界。 だから宗教、信仰が崩れてきた・・・私の声「今を生きなさい」「今を楽しみなさい」に気づいた人たちが増えて、三々五々、光の世界へと旅立っていった。 そして、古い闇の世界も闇へと戻りつつある。 しんがりは大切だ。光の手となる人たちだから。 沈みゆく闇の世界から、ひとりひとりを手づかみにして、光の世界へと送り届ける光の手だから。 しんがりを勤め上げた人たちは、光の世界のリーダーとなる、光の世界の第三軸を解放する力となる。 だから、今、多くの光たちがこの世に来ている。 ほら、予言のとおりだろう・・・みんながこの世を見ているんだよ」