2015年2月22日日曜日
おはようさん 2015.2.22.
にゃんにゃんにゃんのネコの日ですね。
ネコと言えば、三陸のおばちゃんたちの手作り 編んだもんだら!
第一弾の三陸の海の幸たわしもすごい人気だったけど、
第二弾の「にゃんだもんだら&あなごシスターズ」もステキですよ。
http://www.m-kankou.jp/recommend/14331.html/
そして、この傘につけるネコの手が大好評です。
電車の中で熱い視線があっちからもこっちからも・・・
詳しくはこちらを http://sazahoza.jimdo.com/編んだもんだら/
今日は京都観世会を観てきました。
演目は「氷室」と「桜川」
氷室は文字通り、とても貴重な氷を人々に授けてくれる神さま、ありがたや&ありがたや、のいつものパターンですが、何て言ったらいいのだろう・・・TVの水戸黄門のように、安心して観られるのがいいですね。
そしてある意味、ストーリーで勝負できない分、舞の良し悪し、笛と鳴り物の出来がとても目立ってくるので、演者にとっては怖ろしい作品でもあるのです。
もちろん、今日の「氷室」も「桜川」もとても良かったですよ。
氷室の神さまが舞台中央から突然、現れた時、その面を見て・・・吉本かいな とひとり突っ込みを入れた私でした。いやぁ 楽しかった。
続いての「桜川」は、貧しい母子家庭の子供が自らを人買いに売って、その身代金を母に届けてもらうところから始まります。
母は狂女となって、子供:桜子を探します。
3年後、子供は寺にもらわれていました。その住職と共に桜の名所を訪ねます。
すると最近、川に流れる桜花を網ですくう狂女がいると聞いて、その狂女に会います・・・そして最後はもちろんハッピーエンドですね。
今日の能を観ながら、昨日のシェークスピアと重ねてみました。
ハムレットの最後は「そして誰もいなくなった」です。
西洋の物語は、その中に神がしつこく介入しないと、最後は「誰もいなくなった」になることが多いように思います。
ばっさりと切れば、神がいなければハッピーエンドはない・・・と言えるかもしれません。
日本のお話、特に能のように何百年と日本人の中で生き続けてきた物語は、諸行無常はありますが、「そして誰もいなくなった」のような絶望感、人間の無力さ、愚かしさでエンドロールを塗り潰したりはしません。
全滅した平家の公達のさまよえる亡霊たちでさえ、法力で成仏するハッピーエンドを迎えます。
西洋のような絶対神が神さまだと、「神は死んだ」的なYES or NO になってしまうのかもしれません。
神は死ぬんだ 神を己の中で殺せるんだ・・・その神が死んだ後に残るのが絶望・無力感・愚かしさなのでしょう。
日本の神さまは・・・殺せません。
仏教だけでも大日如来を中心に数多の神さまたちがおられます。
神道にもたくさんの神々がおられますよね。
そして、それらとは別に、日々を生きていく足元 土台に八百万の神々がおられます。
その足元深くには、縄文以前から日本に息づいている宿神たちがおられます。
忘れ去ることはできても、これらの神々を皆殺しにはできません。
そこがシェークスピアと能の違いだと思いました。
では現実はどうか?と言うと・・・世界中がシェークスピア的に、もっとニーチェ的な終末に向かってどんどん堕ちていっているように感じます。
そして、この日本も・・・