2016年6月2日木曜日

ごきげんさん 2016.6.2.

小食療法と飢餓とはどこが違うのですか? とお問合せをいただきました。 身体に入るカロリーが少ないのは、どちらも同じです。 例えば、かの有名な1日青汁1杯だけで17年間、元気に過ごされている方の1日摂取カロリーは、医学的には飢餓レベルと言えるでしょう。 これは極端な例として・・・ 三食食べていた頃より1日1食で超元気になる人は・・・ 1)身体の声がよく聞こえています。 身体が食べたいものを食べたいだけ摂っています。 決して満腹になるまで食べたりしません。 2)病気を治すために、健康になるために、自らの意志で小食にされています。 小食が蓄積された毒素の排泄を促し、免疫力と自然治癒力を高め、脳と全身の血流が良くなることをしっかりと理解されています。 3)「食べられない」ではなく、「食べない」でもなく、ただ「食べるのを忘れる」感覚です。 仕事や趣味、ボランティアや家事が楽しく充実しているので、食べる快楽から解放されています。 もちろん、友人や家族との食事を一緒に楽しむ余裕もあります。 「食べる快楽」よりも、「一緒に今を楽しむ」ことができます。 4)小食を楽しんでおられます。 飢餓で苦しんでしまう人は・・・ 1)3食食べないと死んでしまう、と思い込んでいます。 今日も食べられなかった、私はもうすぐ死んでしまう、と自らを呪縛してしまいます。 最近の脳科学では、このような呪縛は(特にネガティブな呪縛は!)身体もこころも呪縛通りの結果に向かうことが分かっています。 2)食べられなかった、死ぬ、と呪縛した瞬間、交感神経系が過剰反応して、アドレナリンが大量に放出されます・・・心身は緊急非常事態の臨戦態勢に突入しますが・・・やがて疲れます。ドッと疲れて、心身がボロボロになります。 免疫力が低下するので病原菌に侵され、ガン細胞が増殖します。 3)飢餓は自らの意志ではないので、怒り、不安、不満、悲しみなどのネガティブな感情に飲み込まれます・・・やがて、生きるのを諦めてしまいます。 4)飢餓は食べたいのに「食べられない」です。 仕事や趣味などの楽しみも、慈悲や協調や思いやりなどの愛も見失ってしまいます。 余裕もなく、進むべき道も見えず・・・「食べたい」思いだけが命の灯となってしまいます。 アーユルヴェーダでは、身体は馬車、意識は馭者に例えられます。 意識の馭者が馬車の身体の手綱をしっかりと取って、目的地に向かって一直線に走らせるのが理想です。 小食療法と身体の関係は、まさにこの理想的な馭者と馬車の関係です。 意識の馭者が恐怖やパニックに駆られてしまうと、馬車は右往左往しながら暴走してしまいます。 これが病気の状態であり、飢餓もそのひとつと言えます。 小食療法は、自転車に乗るようなものです。 人が乗っていない自転車はバタンと転けます。 それを見てしまうと、自転車は転けるものだ、怖いものだ、と思い込んでしまいます。 でも、自転車を颯爽と乗りこなしている人を見てしまうと・・・ 自分も乗ってみようかな、と思う人も現れます。 乗ったら、楽しいですよね。 「ごきげん小食アドバイス外来」は、そんな自転車初心者な方のうしろから自転車を支えたり、押したりしながら、ちゃんと自転車に乗れるまで見守り続ける外来です。