2015年4月18日土曜日

おはようさん 2015.4.18.

今日は朝早く大阪を出て、一路、鳥取へコペン君でGOGOGO!でした。 天晴れ青空の下、オープンにして快調に中国道から鳥取道へ。 途中、道の駅に寄ったりしながら、無事、鳥取へ着きました。 鳥取市内をブラブラと走った印象は・・・歯医者さんが多い! 今日の鳥取入りの目的は、無人でジャングルになった実家の実家(祖父の家)をどうするのか? の孫たち会議です。 錦鯉がたくさん泳いでいた立派な庭は、完全にジャングルと化していて、栄枯盛衰&諸行無常に涙します。 そして、先祖代々のお墓、菩提寺、発祥の地を巡りました。 小さい頃におじいさんに連れられて行ったことがあるなぁ・・・ 子供の頃は、大きく・広く・高く・遠く感じたことが、大人になるとあまりに小さく・狭く・低く・近く感じてしまいます。 これは成長したからかなぁ?  ピュアーな感性が鈍ったからかなぁ? どっちがいい、悪いの話ではなく、この子供の感覚がとても懐かしく、愛おしく感じました。 今回の会議は、いろいろな我欲が渦巻いていて・・・まぁ、それがこの家の宿命でもあるわけなのですが、出家?の身から眺めていると、それはそれで岡目八目 それぞれの人のこころがよく見えてきて、勉強になりました。 まるで西行のようだな・・・出家の身なれども、天皇・法王・それぞれの門院の渦の中に引き込まれていった西行の重荷にシンクロしてしまいました。 奥山発祥の地と言われても・・・ 私自身の中で「奥山」のDNAがとても色濃くでているのは、やはりこのご先祖さまです。 奥山休賀斎 おくやま-きゅうがさい 1525-1602 戦国-織豊時代の剣術家。 大永5年生まれ。奥山流(奥山新影流)の祖。新陰流の祖上泉伊勢守秀綱に学ぶ。奥平貞能につかえ,姉川の戦いに織田・徳川連合軍に加わる。天正2年(1574)徳川家康の剣術指南役となり,晩年は旧主貞能のもとで過ごした。慶長7年死去。78歳。三河(愛知県)出身。本姓は奥平。名は公重。通称は孫次郎。別号に音寿斎。号は急加斎とも書く。 実際に三河奥山郷を訪れてみると、とても懐かしいデジャブ感に襲われました。 ですから、発祥の地と言われても、それは三河奥山郷出身の誰かが因幡に流れ着いただけのことですよ、というスタンスです。 剣客は諸国をあまねく巡りながら修行をしますからね。 自分のルーツって何だろう? と思った時には、小さな頃からなぜか好きだったもの、あれ? これって習ってないのになぜか知ってる・できちゃうってことを思い出してみてください。 歴史小説を読んでいて、あれ? これって自分に似てるんじゃないの?って思ったら、それをググってみましょう。 きっとピーン!と来るものがありますよ。 そして、そこへ行ってみると・・・何かをデジャブを感じるかもしれませんね。 それが貴方のDNAルーツなのですから。