2013年10月19日土曜日
おはようさん 2013.10.20.
土曜日の午後、亀岡の夢コスモス園に写真を撮りに行きました。
京都縦貫道が出来たので、門真からひとっ飛びです。
休耕田を利用したコスモス畑で、とてものんびりと楽しめますよ。
(入園料600円 駐車場は無料 亀岡インターから5分)
お気に入りのローライフレックスを持って色とりどりのコスモス畑の中を歩きながら写真を撮っていると・・・
??? いつものようにお花さんたちが話しかけてきてくれていたのに、段々とお花さん、無口になっちゃって。お花さんたちの声が聞こえなくなってしまいました。
今年の春から花写真家さんのわたなべもも:わたもも先生の花写真レクチャーを季節毎に受けているのですが、今日はコスモスをカメラのファインダーに覗きながら、茎を隠さなきゃ・・・ 前ボケ&後ろボケは・・・ 構図は・・・ と左脳がムチャクチャに邪魔してくるじゃありませんか!
〜ねばならない 〜あるべきだ 〜が良い 〜が上手だ 〜がみんなに気に入られる・・・
良い写真って何なんでしょうね?
プロの写真家さんはクライアントを満足させなきゃいけません。お仕事だからね。
プロの歌手はステージ上では自分の持ち歌、ヒット曲を歌わなければいけないのと同じです。
クライアントが篠山紀信風に撮って!と言われれば、紀信風にとるか、仕事を降りるしかありません。
写真だけじゃなく何でもプロの仕事には、ある程度まで自分を殺すという妥協がついて回ります。
素人は怖いもの知らずです。
カメラを持ったのがうれしくて、何でも撮りたい!
それはそれでいいのです。
ただひとつ、子供は自分の感性のまま撮りますが、大人はそんな自由な感性がなくなってしまっていることが問題です。
感性を見失ってしまっているから、何を頼りにして撮ったらいいのか、わかりません。
だから、写真雑誌や写真レクチャーを自分の感性代わりにしてしまいます。
写真家さんたちや写真雑誌・写真コンクールで認められるようになるということは、どういうことなのでしょう?
考えただけでスピリチュアル的にはゾッッッとしますが、それがアマチュア写真家さんたちです。
写真家さんたちや上手なアマチュア写真家さんたちのコスモス写真をネットで眺めていても、やっぱり自分が撮ったコスモス写真の方にハッとするし、好きです。自分に1等賞をあげたい。
当たり前か・・・でも、これが当たり前でないアマチュア写真家さんって多くないかしらむ?
幼稚園の子供たちは、自分の絵が好きです。でも1等賞はありません、だって人と比べるという発想自体がないから。
これって素晴らしいことなんです。感性は人と比べられないものだから。
ピカソは晩年、やっと子供のような絵が描けるようになった、と言ったそうです。
描く時、撮る時は自分の感性だけを信じることが大切なのですね。
これはプロには出来ない撮り方です。
自由な感性でカメラを持てば、花や木、雲や風が必ず話しかけてきてくれます。
「撮って、撮って」って。
子供にカメラを持たせると、奇想天外 これが自由な発想なんや!の写真を撮ってくれます。
左脳を休ませて、自由な感性になりきれれば、私たちだってそんな写真が撮れると思います。
そんなん、ムリや! スピリチュアルは理想論や! ・・・ですか?
AKBやNMB48のステージ上で歌い踊り飛び跳ねる彼女たちは、小さな子供そのものです。
きっと3才の頃、TVを見ながらこたつやソファーの上で歌い踊っていたまんまだと思います。
振付やポジショニングが決まっていて、自由な発想なんかないやん!ですか?
彼女たちの汗と笑顔こそ、自由な発想そのものなのです。
まっ、わかるヤツにしかわかんないやろうなぁ・・・の感性そのものですね。
良い写真とは、自分が大好きな写真のこと。自分で撮った写真でも人の写真でも、これ、好きやねんって言える写真であることです。
そして、その写真が丸出しの感性に導かれていること。被写体の声(ポートレートなら神の声)が聞こえてくることですね。
自分の感性が一番やねん。そう思えて、プロの写真を見ると「なるほどね、この人はきっとこんな想いで撮ったんやなぁ・・・」のちょっとした高みに立てて、もう 〜ねばならない 〜あるべきだ 〜が良い の泥沼に足をすくわれることもなくなります。
プロでもない、アマチュアでもない、素人でもない・・・神さま&天地自然と私の同行二人て撮る・・・まるで二眼レフですね、ローライ写真家とでも名づけましょうか。
そんなローライ写真家誕生!のコスモス園でした(;^^)ヘ..