2013年7月27日土曜日

おはようさん 2013.7.28.

宮崎駿監督の「風立ちぬ」を観てきました。 なるほど、いろんな意見が聞こえてくるのもわかります。 劇場は土曜の午後だったので、ほぼ満席。 いつもの、ジブリ映画だから、宮崎駿さんだから観に来た人たちに加えて、ゼロ戦の堀越二郎さんが主役の映画だから来た年配の人たちが多かったのが印象的でした。 映画終了後のお客さんたちの心エネルギーは「なんだかなぁ」が大半の様でした。 宮崎さんがネット上で解禁された「憲法改正反対の意見書」を先に読んでいたので、監督の意図がよくわかりましたが、何も知らずに観ていたら・・・う〜ん・・・だったかもしれません。 http://blogos.com/article/67026/?fb_action_ids=10201106046746234&fb_action_types=og.recommends&fb_source=aggregation&fb_aggregation_id=288381481237582 wikipediaには、「兵器である戦闘機などが好きな自分と戦争反対を訴える自分という矛盾を抱えた自らの姿が投影されている」 「(そんな)矛盾に対する自分の考えを、宮崎駿はそろそろ出すべき」 「この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである」との監督の心境が語られている。 しかし、今日の観客たちのほとんどが「戦争を糾弾しよう」か「ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しよう」か「本当は民間機を作りたかった」かの感想を持たれたことでしょう。 「自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである」と思えるには、今の自分の中に青春パッションがなければならないし、「創造的人生の持ち時間」が手元に残っていなければならないし、何より自分の人生を「設計するセンス」に長けていなければならないでしょう。 シノマリ:篠田麻里子ちゃんも「自分の夢に忠実にまっすぐに進んだ人物」だけど、明日の世界が求めているのは、そんな人たちなのかもしれませんね。 この映画は宮崎監督としては初めての実在の人物を主人公にした作品ですが、いつものジブリ作品のように、手に汗握るシーンや観客も巻き込んで一体化した盛り上がりのシーンなどはなく、架空のヒロインとの愛と別れで色はつけてあるものの、全体的には淡々と堀越さんの半生を見ていく感じになります。 そうです! この感覚は、過去生を見る感覚と同じなんです。 人生の目的・ソウルメイト・天職・病気の治し方・・・どんなテーマを選んでも、見えてくる人生たちのほとんどは平々凡々の普通の人の人生です。 なんとなく自分の今生と似ているか、正反対か・・・ですが、映画や小説のように波瀾万丈&勧善懲悪なハッピーエンドに終わる人生など、めったに出てきません。 ひとつの過去生を見終わった後も「この過去生は何だったの? どんな意味があるの?」で意識がますます混沌をしてしまうことがほとんどでしょう。 でもね、そこで素直な人、まっすぐに人生を歩んでいる人にはA-HAが起こります。 分かる人には分かるのです。 この映画も同じですね。わかる人にだけ分かる。 宮崎監督は(クリエイターは誰もが神さま・光さんからのインスピレーションで書かされ・創らされてますから、ここも神さま・光さんと言い換えられますが)みんなにひとつの過去生を見せてくれたのかもしれません。 誰もがいろいろ悩み、さまざまな壁にぶつかって膝を折っているけれど、この映画に描かれた人生(過去生)を見て、何かを感じ取って、悩みの呪縛を解き放つ勇気を蘇らせてほしい、壁を乗り越える創造力を育んでほしいのではないかなと思いました。 前世療法で過去生を見るには、こころの素直さが必要です。 そんなこころの素直さの中で、この映画をもう一度思い返してみると、大きな大きな感動がこころの奥深くから湧き出してきます。 「自分の夢に忠実にまっすぐ生きなさいね」 光さんがいつもの笑顔で語ってくれているような気がします。 これから「風立ちぬ」を観る方は、自分の今生と見比べてみましょう。 そこで凹んだり、あきらめちゃダメですよ。 この映画が自分の今生の大節目なんだ、神さまからのメッセージなんだと思って、いろいろと考えてみましょう。 きっと、光さんの声、メッセージがシンクロして、素直なこころの中に湧きあがってきますからね。