2014年9月28日日曜日

おはようさん 2014.9.27.

怒濤の土曜外来を終えてから、万博のみんぱく(国立民族博物館)特別展「イメージの力」を見てきました。 特別展でもフラッシュ&三脚なしなら個人使用写真は自由に撮れます。 今日は、みんぱく用に購入した テレローライ(Rolleiflex135/4)君のいきなり本番デビューでもありました。 通常展示よりも特別展示は明るかったので、TMAX400のISO3200増感で気持ちよく撮れました。 さて・・・「イメージの力」展ですが・・・ 入って最初にお出迎えしてくれるのは、大きな仮面を持つ族長イスたちです。 もう圧巻・・・その場で異次元の時空旅行へ引き込まれてしまいます。 私もその場から30分ちかくも離れられませんでした。 縄文の血が沸々と煮えたぎってきて・・・その族長イスが置かれていた村々と意識が亜空間で同期すれば、ドラムと鐘の音、動物の鳴き声のやうな雄叫び、ご馳走が焼ける匂い、編み込んだ家壁の隙間から射す女子供の目 目 目・・・やがて踊りが始まり、炎と共にエキサイトし踊り狂った男たちの中に、ついに神さまが降臨します・・・そこはまさしく縄文でした。 順路に従って世界中から収集された展示物たちを見ていきます。 特に仮面がたくさん展示してあります。 世界中・・・未開地のレッテルをはられたジャングルの村々の仮面たちも、観光資源な民族文化遺産の仮面たちも、大都会に息づいている仮面たちも、ごちゃ混ぜに、それは善きカオスでもあるのですが、展示されています。 ファインダーでひとつひとつの仮面の「顔」をしっかりと見つめていて気づいたことがあります。 どの仮面たちも神の姿なのです。 そして、どの仮面の作り手たちも同じ神を見ていたのです。 もちろんそこには宗教や呪術、タブーや口伝・・・さまざまなしがらみと縛りがドロドロと渦巻いているので、同じ神を見ていても、意識に昇ってくるまでの間に大変身!させられちゃいます。 だから、地域と時代が変われば、ありとあらゆる創造の産物が生まれだしてくるのです。 この「イメージの力」展は、神という究極の無であり有であり、光であり闇であり、ただひとつであり無限でもあり、否、光と闇と虚無の根源でもある大いなる神を人間はこれほどまでにリアルかつ創造的に表現できるのだぁ!!と神さまに向けて拳を衝き上げながら、フェスティバルしている展覧会なんだと思います。 縄文の血を引き継ぐものどもよ、ここに集え! 縄文の血よ、湧きあがれ! 明日は天地開闢 縄文開窮するぞ! いざ 共に踊り始めよう! 自由と愛こそ和・輪・笑だ! きっと今夜もみんぱくの中では、仮面たちの踊りの輪がくるくる くるくると廻っていることでしょう。 http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/special/20140911power/index 前世物語  三日目のワークが終わった彼女には、あれほど強かった他人への依存心が消えて無くなっていました。少なくとも、彼女の目はこれから歩き出すべき方向へ前向きに向けられています。彼女は心の扉を開いて立ち上がったのです。これだけでもワークを受けられた価値がある、と私は思いました。 「私と夫は何があっても一緒になる、って誓い合っていたのですね。だから何だか相性も良くないのに結婚したんですね。この人生で二人が向き合って、愛し合えるように頑張らなくちゃいけないのですか・・・。そう、確かに夫は誓った通り、優しくしてくれています。後は私が夫を愛さなくちゃいけないのですね。難しいなぁ、妻として夫を愛するのですか・・・。  そうですね、光が言ってたように、いつの間にか私は妻ではなく子供たちの母になってしまっていました。妻は形だけ、になっていました。もちろん、やるべきことは全てこなしてきました。でも、それは日々の作業でしかありませんでした。妻という仕事に愛情は全く注いでいませんでした。それは単なる毎日の流れ作業になっていました。それでいて、私は夫の愛を求め続けていました。夫の愛が大きくならないと、私はとても苛立ちました。夫の愛のエネルギーが弱くなると、心の影の世界で自分を哀れみ、夫を恨んできたのです。私は子供たちの母だけになっていました。子供たちを独占すること、それがとても心地よかったのです。もしかすると、夫の愛が子供たちに奪われないように、子供たちと夫の間に大きな溝を掘り続けていたかもしれません。子供たちも私と一緒になって、夫を怖れ、憎むように仕向けていたのかもしれません。子供たちが夫に対して心の扉を閉ざせば、夫の愛をひとり占め出来るからです。そうまでして私は夫の愛を奪い取ろうとしてきたのかもしれません・・・これは母ではありませんね。母は子供たちの心の光にならなくてはなりませんから。人を信じることが愛への道であること、人を信じれることが心の扉を開く鍵となることを、妻として人として、夫を信じて愛する姿を通して、子供たちに教え続けなければいけなかったのです。母は子供たちの心に光を灯さなくてはならないのです。私は・・・逆をしていたのですね。妻として夫を信じ、愛のエネルギーを送り続けていれば、例え子供たちに分かち合える愛のエネルギーがなくなったとしても、そのまま放っておいても子供たちの心は光に満たされるのです、そんなヴィジョンが見えたような気がします。子供たちを自分のスケープゴートにしてはならないのです。夫を愛せない、信じられないのは自分から心を閉じてしまっていたからだったのです。それをいつまでも他人の責任にしてしまっていました。夫、姑、義理の兄弟・・・果ては夫の友人、仕事仲間・・・夫の趣味、健康、仕事そのものにまで嫉妬と恨みをぶつけていました。私の心の影の世界がどんどん大きくなって、悲しみや憎しみばかりを吸い寄せてきました。夫との関係が急激に悪化したのも、そのせいだったのです。私が引き寄せていたんですね」  彼女は心を開いたまま、まだ光と対話しているかのように語り続けました。 「でも、今となってはもう、どうしようもないことなんです。夫の心は私から離れて、どこか遠くへ行ってしまいました。私は今回の人生でも失敗したんです。後は夫を笑顔で送り出してあげるだけしか出来ません。私は夫の愛をずっと奪い続けていました。夫の命のエネルギーを吸いつくしてきたのです。それを考えただけでも、夫には申し訳ないと思います。私はもう、消えてなくなりたい気分です。これまで何度も失敗してきて、また今回も夫に迷惑をかけてしまったのですから。あんなに愛してくれたのに、私は奪い尽くすことしか考えてなかったなんて・・・」  彼女の心はどんどん小さくなっていきました。私は彼女に何と言ってあげたらいいのか、言葉が詰まっていました。