2014年9月18日木曜日
おはようさん 2014.9.18.
新しいアイホンが出ましたね。
iPhone6 & plus
私が使っているアイホンは4Sですから、今回は買い換えするつもりでした。
でも・・・まてよっ!
まず今のアイホン4Sで特に困ったことはありません。
主な使い道はデジカメ代わり。InstagramかニナミカのCameranで撮ってFBとTwitterにアップする時に活躍しています。
後は出先でのFBチェックくらいかな。
いろんなソフトは入っていますが、アイホンではほとんど使いません。
音楽編集や画像編集など、ちょっと込み入ってる作業は今でもやっぱりMac Air君か古いMac Pro君を使いますから。
さて、アイホン6に買い換えたとして、果たしてどれくらい便利になるのか? を脳内シュミレーションしてみると・・・何もありませんでした。
写真がより鮮明になるといっても、所詮デジタルです。
デジタル写真が嫌でフィルムカメラに戻った私にとって、デジタル写真は単なる記録でしかありません。
あんなん 写真ちゃうでぇ! な世界観です(;^^)ヘ..
記憶と記録の違い・・・記憶は年月を経るにつれ彩りを増して、人生の糧になります。記録はただ色褪せていくだけ。。。
新しいアイホンは大きくなりました。
6Plusなんかポケットに入らへんやん! どないせいっちゅうねん! な第一印象です。
普通の6でも何だかかさばりそうです。
アイホンで写真を撮る時って、けっこう片手撮りしますが、今でも撮りにくいのに、大きくなったら・・・どうなんやろう?
別にネガティブキャンペーンしてるわけではありません。
私も出来れば自分を納得させられる理由を思いつきたい!!
でも、今の自分のネット利用に照らし合わせてみると・・・な~んか見栄しか残らないんちゃうの?
ということで、新しいアイホン6はしばらく見合わせることにしました。
それにしても、日本だけでもものすごい数の買い換えがあるみたいですね。
電話屋さん3社は、アイホン5や5Sからの買い換えさえも煽っています。
相変わらずの大量生産&大量消費・・・それに踊らされる庶民たち。
搾取する方も、搾取される方も・・・何だかとても哀れです。
物欲と所有欲。ステータス。
持つことでしか自分のアイデンティティを満足させられない哀れな人たち。
日本人はバブル崩壊の苦難の中から、世界で最も物欲・所有欲の愚かさに気づいていたはずなのに・・・つまり最も光の世界に近づいていたはずだったのに、あの震災以降、どんどん古い世界へ戻っていってしまっています。
これはアイホンだけではありません。
デジタルカメラの世界も同じです。
毎年、新製品と銘打って、デジタルカメラを発表&販売しています。
確かに性能はアップしています。
でも・・・日本人だから感じられたはずの繊細な感性、神が宿るような美意識、善き写真とは? という永遠の問いかけがないがしろにされ、単なる高機能記録装置に成り下がってしまったように思えます。
新しいカメラが出た! 古いカメラを下取りに出して、新しいカメラを買おう! そんなツイートをしばしば目にしますが、そこに本当の幸があるのでしょうか・・・死んでからも自慢できる写真が撮れるのかしら?
彼岸からそんなデジタルカメラの世界を眺めていると、まるで昔のオランダのチューリップバブルの喧噪のように思えます。
機械は人が使うもの。ある意味、人のパートナーです。愛情と信頼を込めて使ってあげると、機械もちゃんと応えてくれます。愛情も信頼も数値化できないアナログです。
最近の電脳機械もデジタルカメラも機械が人を使っているように思えてなりません。
そこには愛情も信頼もありません。効率とコスト・・・数字だけが機械と人を繋いでいます。
チャップリンが警告した暗黒世界に再び陥ろうとしている今のこの世です。
そして歴史は繰り返します・・・その先に待っているのは・・・ ・・・
前世物語
「そしてそれから、あなたはどうなりましたか?」
「祭壇でたくさんの女性と一緒にお祈りをしています。毎日毎日お祈りばかりしています。私はいつも、教会からわずかに見える町並みを眺めています」
「それは何という教会ですか?」
「セント・・・・」
彼女は思い出すのも嫌だったのでしょうか? 重い沈黙が続きました。先生は場面転換を指示しました。
「ロザリーナさんの人生で、次に大切な場面に移ってください。何が見えますか?」
「・・・何も浮かびません」
「では先程の場面に戻りましょう。それからあなたはどうしていますか?」
「毎日、みんなとお祈りしています。ここには自分というものがありません。神に仕えるもの、と言うのが私の名前なのです」
はがゆそうに彼女は言いました。先生は人生の最後の場面へと進めました。
「ロザリーナさんの人生で、死ぬ場面に移ってください。あなたはいくつになって、どこで死にそうですか?」
「教会の中で寝ています。六十四才になっています。インフルエンザに罹っています」
「死ぬ間際に、あなたは何を考えていますか?」
「早く死にたい・・・」
「なぜ?」
「幸せじゃなかったからです」
「なぜ?」
「普通に結婚したかったのです。もちろん神様は信じてますが、実は神様にではなく、いつも目の前のシスターや王やいろいろな権力者たちに仕えてきました。それが幸せだとは感じられませんでした。他の人たちはそれを心から幸せだと感じられたのに、なぜ私だけが出来なかったのか・・・、だから私はいつも自分を責めていました。神に仕える私が自殺をすると家族が迫害されてしまいます。だから、私はずっと死にたいと思っていたのです。死を迎えた今、私は幸せなのです」
彼女はか細い声で答えました。先生は一気に死を通り越させました。
「その死ぬ場面を通り越して、そして宙に浮いたら教えてください」
「・・・はい、浮きました」