2015年6月4日木曜日
おはようさん 2015.6.4.
木曜日の夕方は、藤本漢祥院で蓮風先生に鍼をしていただくマイ・リセットdayです。
午前中に事務仕事を終えて、午後から松柏美術館の植村松篁展を楽しんできました。
誰もいない展示場で大好きな松篁さんの絵に囲まれて・・・至福の空間です。
松篁さんの70代までの作品、80代の作品、90代の作品をゆっくり見比べることもできました。
70代の作品の鳥には、愛と前進のオーラがあふれでています。
80代の鳥には、前進が消えて、愛だけに包まれています。
90代・・・形だけで、生命力の衰えを感じます。
手相家の西谷泰人先生に「96才まで現役で仕事バリバリしてるよ」と言われて、とっても勇気づけられました。
ちょっと調子に乗っていたけれど、96才の松篁さんの作品を見ながら、オーラを失ってはダメだな、と肝に銘じました。
70代までの絵には・・・蓮、紫陽花、木蓮、芦、雪のオシドリ・鶴たち・・日本画特有の何も描かれていない背景の奥に、どんどん異次元・異空間の物語が浮かんできます。
絵との対話。
そこには、画家さんがフッと描こうと思ったけど、やめてしまったものまでもが浮かんできます。
松園さんは美人画です。
松篁さんは花鳥画です。
鳥には表情がありません。
鳥の表情、こころのひだは、鳥のしなやかなボディーラインで表すしかありません。
その表情に松篁さんの苦悩と葛藤、そして喜びが見て取れます。
松篁さんの魅力ですね。
それでも、もしかして松篁さんは松園さんの美人画を避けていたのでは?と思いました。
とてもあの美人画の表情が描けない・・・それが松篁さんの鳥の表情、特に90才代の鳥の残照に出ていたように思いました。
親を超える難しさと喜びが親子に生まれた醍醐味です。
今日の展示の中に、私が30年前に初めて松篁さんの花鳥画を買った(もちろんレトグラフですよ)ハイビスカスと頭の真っ赤な鳥の絵がありました。
いやぁ 感激しました。だって、30年ぶりにホンモノを見たのですから。
松篁さんがハワイでスケッチされて描かれた作品でした。
なんだか懐かしい級友に出会ったようなノスタルジックな気分が甘酸っぱかったかな。
途中で観光バスの団体さんたちがゾロゾロと入ってきました。
けっこうお金持ち風&セレブ風な方々ばかりでした。
でもね、みなさん、絵にギリギリ近づいて見る「平民見」されていたのガッカリです。
最初、もしかして日本画の団体? だから間近で筆のタッチ云々を見てるの? と思いましたが、「平民」でした。
なぜ日本人のほとんどが美術館の絵画に最接近して見るのでしょう?
小学校の遠足のせいかしら?
中学の美術の先生のせいかしら?
やっぱり親のせいですよね。
私は中学の美術の先生に、絵の見方を教わりました。
まず展示場の中を遠目にスッと見渡してみる。
(中谷彰宏先生のように、早足でとりあえず全部の絵を見て回るのもアリ)
そして、この絵が気になる・お気に入り!と感じたら、その絵をじっくり味わう。
その際、その絵の全体が視野の中にすっぽり入る立ち位置から味わう。
時々、左右前後に動くと、新発見がある。
一番肝心なのは、その絵とお話することです。
絵とお話するのは、画家さんとお話することになります。
その絵の時代とお話することになります。
どんどんストーリーがふくらんでくるのが良い絵です。
軍師彰宏流に言えば「貴族」の味わい方ですね。
美術館で「貴族」な味わい方をしている人って、少ないです。
面白いのは「平民」さんたちの多くが平伏して前を通り過ぎていくことです。
視野を遮ったら申し訳ないから・・・だけではありません。
「貴族」なオーラに「平民」が自然と平伏しているのです。
これはDNAというよりも、生き方のオーラの違いです。
これから時代、「平民」で生きていくのはとても辛いと思います。
幸せになれるのは「貴族」だけです。
お金持ち、権力持ち、情報持ち、家柄云々では「貴族」になれません。
生き方の感性、生きる目力を磨けば、誰でも「貴族」になれます。
みなさんはどんな絵が好きですか?
熱く語れる絵がある人は「貴族」です。