2015年8月23日日曜日
おはようさん 2015.8.23.
今日は京都観世会館八月例会を観てきました。
雨月・梅枝・熊坂の3能です。
能楽大連吟「高砂」の宮本茂樹師匠が熊坂のシテをされるので、観客席には顔見知りがいっぱい・・・女性陣はお着物で艶やかに・・・皆さんとは会釈だけでしたが、ちょっと良い気分でした。(やっぱりモテ期かな(;^^)ヘ..)
今日の演目の中で、一番気に入ったは雨月です。お話は・・・
西行法師が住吉へ参詣した後、老夫婦に宿を借りようとします。その宿の軒端はちょっと壊れていました。
尉(お爺さん)は、時雨の音や紅葉が降ってくる音を楽しみたいから軒端を葺こうと言ってます。
お婆さんは、板間に洩れる月影を愛でたいから軒端を葺くまいと言っています。
この雨月の風雅な争いの中で「賤が軒端を葺きぞわづらふ」という下の句が出来てしまいます。そこで、爺婆は西行に、上の句を作ってくれたら泊めてあげよう、と言います。
西行は「月は洩れ 雨はたまれと とにかくに」と上の句をつけ、爺婆は感じ入って西行を招き入れます。
折から時雨のような松風が吹き、住吉の情景、月、雨を思ううちに夜も更けて、皆眠りにつきます。<中入り>
住吉末社の神が現れ、先の老人は住吉明神の化身だと教えます。やがて宮人に乗りうつった明神が現れ、神徳を述べ、西行を誉め、和歌を讃えて舞を奏でます。そして神は上り、宮人は我に返ります。
西行がらみは好きな私です。
それ以上にこの雨月の爺婆の風雅の可愛く、美しいこと・・・この上なしです。
爺さんも婆さんも同じ美の感性を持っている・・・羨ましい限りです。
屋根に穴が空いていたら、そこから射し込む月影を楽しみたい・・・こんな感性の女性には、墜ちます。
もうブスとかデブとか関係ないです・・・と言うか、こんな感性を持った女性にブスもデブもいるはずがありません。それは宇宙の真理に反しますから。
屋根に穴が空いてる。それはいかん! 雨が降る前に直しとかないと! という爺には、なりたくありません。
雨音を楽しみたいから。
紅葉の葉っぱがヒラヒラと落ちてくる音を楽しみたいから。
・・・貴族ですよねぇ・・・庶民には言えませんよ。思いつきもしない。
こんな爺婆なら、縁側でお茶を飲みながら「おいしいねぇ」「おいしいねぇ」と交わす会話の中にさえ、すべての宇宙の真理が浮かんでいますよね。
湯飲みの中には、大宇宙がそのまま入っているでしょう。
雨漏りしても、怒ることも、悲しむことも、自己卑下することも、哀れむことも、ないでしょう。
雨があがっても、月影が射し込んできても、感謝することも、喜ぶことも、ないでしょう。
ただ、美しさを共感して、その今を楽しむ。
その時の微笑みこそ、神さまがこの世に男と女を創った理由だと、思います。