2011年3月10日木曜日

おはようさん 2011.3.10.

パステルブルーな春空に、ぽっかり雲が浮かんでた大阪の朝です。
おはようさん!
死んだら、意識はぽっかり雲のようにこの世に浮かんでいて、遺してきた人たち、愛してくれた人たち、大切な人たちをずっと見守っています。
生きていた時の素直なこころがぽっかり雲の意識さんになります。
(ドロドロ・ベトベトな気持ちたちは大地が吸い取って浄化してくれます)
ぽっかり雲になった意識さんはずっと変わらず毎日が素直なこころのまま。
だからこの世の時空間になんか縛られずに、大好きな人、大切な人をいつまでもずっと見守っています。
ぽっかり雲の意識さんから抜け出た魂さんはもっともっと天に昇っていきます。
魂さんは光の珠。
珠の外側は・・色艶のついた皮や殻の部分ですね・・集合意識体へと戻っていきます。
この人生を一冊の伝記本にして、集合意識体、そう、アカシックの殿堂に収まります。
次に誰かが借り出したりコピペしたりできるように、永遠に集合意識体のひとつとして残ります。
そして魂の内側、そう実の部分ですね、魂の光さんはするするっと大いなるひとつの光さんに戻っていきます。ワンネスで溶け合って、ひとつの光さんになります。
魂の光さんには自我はなく、「愛」だけでは言い表せない「和・輪・笑な悦びと美の恍惚」で輝いています。
大いなるひとつの光さんから滴り落ちる時に、その滴の真ん中に抱いた「生命!」が私たち人間の、この宇宙の存在の根源です。
ぽっかり雲はどうなるのかって?
見守る人、大切な人がこの世にいなくなってしまうと、ぽっかり雲も青空に吸い込まれていってしまいます。
あとに遺るのは、幸せな気持ち、無償の愛、あるがまま素直な感謝の気持ち・・・そんな想いたちが集って風となって、どこかの誰かのぽっかり雲を支えてくれます。
死んだら・・・雲の上から愛する人たちを見守っている自分がいて、荘厳無限な図書館で自伝を書いている自分がいて、神さまに抱かれている自分がいる・・・そういうわけなのですね。