2017年12月1日金曜日

ごきげんさん 2017.12.1.

先日、日本脳神経外科学会の退会届と脳外科専門医の辞退届を提出しました。 脳外科専門医になったのは30才の時です。 頭を傾けたら、昨夜詰め込んだ知識がこぼれ落ちてしまうよぉ・・・そんな4ヶ月間の猛勉強が懐かしい思い出です。 医師国家試験の数倍勉強したかなぁ ちょうどMRIの画像診断が問題に出始めた頃で、筆記試験合格者に課せられる口頭試問で下垂体近傍のMRI所見を北大の教授から尋ねられたのを今でも覚えています。 脳外科専門医になってからの10年間は、民間病院の脳外科医長として外来&病棟診察も検査も手術も独りでこなしてきました。 20年前に、よろず診療所を開業してからは、脳外科的な外来診療は続けていましたが、もう手術や検査とは疎遠となりました。 それでも年に2回の脳外科学会(含:脳外科コングレス)には参加していましたが、正直なところ、専門医資格維持のための点数稼ぎが主目的になっていました。 参加しても面白くない・・・自分が脳外科の進歩についていけていないのではなく、脳外科自体に大局的な進歩が感じられなかったのです。 36年前に脳外科医になりました。 なぜ脳外科医になったの?  それは、あの頃の脳外科は破竹の勢いで進化&進歩していたからです。 36年前のCTは、まだ磁気テープにアナログで検査データーが記録されていました。 脳の中に出血があるがやっとわかる程度の解像度でしたが、それでもあの当時はすごい!ことでした。 主な検査は脳血管撮影・・・天文学で光がわずかに屈折することからブラックホールの大きさと位置を推測するのと同じ原理で、脳腫瘍を診断していました。 脳の手術をしたら1週間後に高頻度でストレスにより出血性胃潰瘍になるので、脳外科医は胃切除手術もできないとダメでした。(後にH2ブロッカー:胃潰瘍治療薬が出た時には神の薬だと思いました) 民間の救急病院では、手術用の顕微鏡も脳外科手術道具も揃っていないところもあって、整形外科や産婦人科の手術道具を使って何とか手術した時代でした。 脳外科医はグリーンベレー(アメリカ陸軍特殊部隊)だなと自負してましたね。 それだけやりがいがありました。みんなヘトヘトだったけど、輝いてました。 そんな脳外科が大進化した善き時代を知っているから、開業医となって脳外科の第一線から遠く離れてしまうと、いつかは自分なりの脳外科とのけじめをつけなくてはいけないと思うようになりました。 わけのわからない新専門医制度ができ、私もちょうど還暦を迎えたので、今年で脳外科専門医を辞めることにしました。 脳外科専門医というのは肩書きです。 西洋医学の世界では、そんな肩書きがとても重要視されます。 自由診療の世界は、肩書きよりも実力勝負の世界です。 還暦を迎えてのこれからの30年は、 すべての肩書きを脱ぎ捨てて 古い知識も常識も捨て去って スッピンで生まれ変わったように自由に生き、天職を果たしていきます。 古いものを捨てたら、 自然医学や波動量子医学、まぐ愛といった新しい&面白いものと出会えましたよ。