2016年1月6日水曜日
ごきげんさん 2016.1.6.
昨日は亡き母のお誕生日でした。
母にとって心斎橋は聖地でした。
その聖地に今年、新医院を開くことができて、母も最幸に喜んでいると思います。
私の最も古い心斎橋の記憶は、4,5才の頃、母に心斎橋の「ものすごくモダンでオシャレな喫茶店」に連れて行ってもらった思い出です。
いっちょらいの服を着せられていたような気がします。
母は結婚前は、高等師範学校出の小学校の先生をしていました。
鳥取という田舎出身ですが、その分、プライドが高かったのでしょう。
時々、そのプライドを満たすために、心斎橋へ出かけていたのだと思います。
昭和30年代の心斎橋と言えば、大阪で一番高級でオシャレな街でした。
そんなオシャレな街のオシャレな喫茶店でお茶を飲むひとときは、母にとって自己肯定感を回復する生きがいのひとときだったと思います。
私自身、母の影響をとても強く受けています。
40代になってからだったけど、自然と茶道と華道を学んでいました。
料理は母譲りの腕前・・・センスと味覚はよく似ているな、と思います。
母が亡くなってからは、より色濃く母の血を自分の中に感じるようになりました。
そんなプライドの高い母でしたら、母の憧れの地、心斎橋で医院を開くと知ったら、きっと大泣きしながら喜んでくれたと思います。
母への善き供養になりました。
亡き父はと言えば・・・ものすごい劣等感の裏返しの自慢屋さんでした。
父の夢は自分のビルを持つこと。
その夢は叶いませんでしたが、きっと今頃あの世で「心斎橋の一等地に俺が医院を作ってやった」と神さまたちに自慢吹聴していることでしょう。
これもある意味、父への良き供養となったわけです。
この世では疎遠になっていた父母ですが、きっとあの世から応援してくれていると思います。
あの世からの追い風を受けながら、明日もがんばっていきたいと思います。