2011年4月25日月曜日

おはようさん 2011.4.25.

花も若葉もピカピカに輝いてる朝の町を歩いてきました。
医院に着いたら急に真っ暗になって、ものすごい雷雨が通り過ぎていって。
雷さま、日本を西から東へと駆け抜けていったようです。
世界の目覚めは日本から・・・世界中のスピリチュアル・リーダーたちが語ってきたことです。
日本の浄化と覚醒は西から東へと・・・ふっとそんなことを想った通り雨でした。

おはようさん!

自殺と生きるチャンスのお話です。
こうやって生きてる私ですが、数週間前の日曜日の夕方、自宅(超高層マンション)から飛び降りていたかもしれなかったのです。
もしこうなったら死のうと覚悟を決めて、もちろん飛び降りたら地面が超スローモーションで近づいてきて、身体がグチャグチャに潰れるのをゆっくりとしっかりと感じることも知っていたけど、それでも死ぬ覚悟でした。
その、もしこうなったら、が現実化しかかり、ワンコを抱きながら震えながら、ただ祈ってました。
死神がすぐ足下まで来ていたその時、何を祈っていたのか・・・よく覚えていません。
これですべてが終わるという恐怖と不安でしょうか? 
でも左脳思考では、それを安らぎとして歓迎していたはずです。
死ぬのが怖い? それはありませんでした。
心残りが? 失敗や手落ちはいっぱいあるけど、自分なりに生きてきた充実感はありました。
まだこれからやることがある? 何かやりたい! 何かやらして欲しい! これで終わりたくない!
そんな想いだったかもしれません。
天を仰いで・・・ではなく、こころから前を向いて、前へ向かって祈っていたように感じます。
そして、死神は足下から去りました。
生きるチャンスをいただけたのです。

自殺する人たちも同じじゃないかな?って思います。
自殺する瞬間は衝動的に見えますが、自殺するその日、そのちょっと前には、とっても冷静なひとときがあります。
自殺する覚悟を神さまに確かめられている、そんなひとときです。
人生を振り返り、現状をもう一度顧みて、そして遺していく人たちへの想いをひとつひとつ噛みしめる時間たちがゆっくりと流れます。
自殺する覚悟を神さまに捧げて、神さまに手を合わせて祈ります。
すると神さまは、必ずチャンスをくれます。生きるチャンスです。
それは、電車が迫るホームから飛び降りてからではなく、駅に向かって歩いている途中にすれ違った見知らぬ人の会話や駅前の広告、聞こえてきた歌声などから伝わってきたりします。
それは、ロープを探しに行った物置でふっと目に入った本に書かれていたりします。
頭に血が昇っているから、そんなことはわからない!
精神がおかしくなっているから無理だ!
それは死に近づいたことのない幸せな人たちの言うことです。
生きるか死ぬか、それは自分で決めることです。
事故や災害ではなかなか難しいですが(実は数日〜週瞬間前に分岐路にさしかかっていて、自分で道を選んでいるのですが、直感的、主観的に自分の「死」に繋がっているのが見えないので難しいのです)、病気や自殺では、あるとき、意識がとてもクリアーとなって、自分の「これから」をこころの声で宣言する瞬間が訪れます。
生きるか死ぬか・・・生きて何をしたいか、生きてどうしたいか・・・
その宣言は前へ向かって叫びましょう。
自分が歩いてきた方向がしっかり感じ取れている人なら、前はどっちかがよくわかっています。
我欲は目を曇らせ、エゴは耳鳴りを起こします。どちらを向いているのかわからなくなります。
ネガティブな感情や想いは下を向かせます。
前へ向かって一言「光を」と叫べば大丈夫です。
みんなを光へ導くこと、
みんなと光の世界を創ること、
みんなと光の中で笑い合うこと、
すべてを含んだ「光を」の雄叫びです。

今日の命はいただきものです。
何かをするために、誰かとつながるために、みんなと笑い合うために、誰もが今日を生きています。
生かされているんだから、遮二無二に何かをしなくてはならない・・ことはありません。
代打やリリーフ投手のように、勝ち試合なら出番はありません。それで荒れたり腐っていたら、まわりをダメにしてしまいます。
生きるチャンスをいただいた。だから、大丈夫だ。
出番はある。だから出番までは、いつも通りでいよう。日々の生活をちゃんとこなしておこう。
生かされているんだ。だから、自我から無我へと歩んでいこう。

生きるか死ぬかの瀬戸際まで行った人たちは、生かされていることをとてもよく実感しています。
それは例えば宇宙飛行士も、ガンから生還した人たちも同じです。
そこまで行かなくても、つまりは、誰もが生かされているのです。
そして、自分で生きるチャンスを生み出しているのです。
生かされ、そして自分で生きていく・・その中に生きる意味、生きる醍醐味があります。
生きがいも、使命も天命も、そんな生きる光の木漏れ日にしか過ぎません。
だから、もっと笑顔で、もっと手と手を繋いで、もっと許しあい認めあい愛しあって、自分を信じて生きていきましょう!