2011年4月22日金曜日

おはようさん 2011.4.22.

日毎に若葉色に染まった朝の町を歩いてきました。
まだ寒いねって、気がつくと合掌しているのに気づいて。
まるで、みんな、祈ってあげてねって、お天道さまからお願いされてるみたいです。
道端で出会ったお地蔵さんに祈るように、
どこからか薫ってきたお線香の香りに祈るように、
今はまだ、祈りの時なのかもしれませんね。
祈り。
こころ静かになってね。
無我の境地・・とは言わないけど、我欲の下に息づいているでしょう? あなたの本当の気持ち、素直な気持ちに気づいてね。
手を繋いで、分かち合い、励まし合い、支え合える感謝と悦びって、幸せでしょう? これがわかれば、もう無償の愛もわかりますよ。
それが今の祈りです。
そして、おはようさん!

死ぬ時って、苦しいんでしょうね? って聞かれます。
たくさんの人生の終わりを見てきました。
病気で死ぬ時、息も絶え絶え・・・痛みに顔が歪んで・・・うなり声・・・をそばで見ていると、さぞかし苦しいんだろうなと思ってしまいます。
でも、病気で死ぬ時、もう死ぬということは本人が一番よくわかっています。
それは魂で、魂を包み込む意識体のところで、逝く時が来たと悟っています。
肉体は苦しそうなさまざまな反応を見せていますが、ちゃんと至福物質が脳に拡がっているので、苦しさはありません。
それに、息も絶え絶えの最後の時が近づく頃には、魂も意識体も身体から半分以上抜け出していますから、ふわっと楽になっています。
赤ちゃんが頭も身体もグチャグチャに折りたたんで、狭くて窮屈な産道を通り抜けてくるのと同じです。
身体の意識体にフォーカスして、その時のことを尋ねれば、「苦しかった。辛かった。嫌だった」などと答えるでしょうが、それは魂の声、大いなる意識体の声ではありません。
ちょっとした念力を使って、亡くなった方の身体の意識体とつながって尋ねても、同じことが起こります。ちなみに、この世の上にたなびいている、亡くなった方が残していった我欲やエゴにフォーカスすると・・・地獄の情景を伝えてくれるでしょうね。

病気で死ぬ時、その人生を自分なりにしっかり歩んできたら、
「(心残りはあるけど)生ききった」「(苦しみ、悲しみも多かったけど)楽しかった」と思えていたら、
死期が近づいてきたことがわかります。
宙が晴れて、大いなる光が見える感じで、魂、意識体が身体から抜け出し始めます。
それは体外離脱のようなスルッと抜ける感じではなく、
頭のてっぺん、百会が開いて、大いなる光と繋がる感じです。
身体もこころも至福感に包まれ、人生のさまざまな出来事の意味がわかり、すべてが感謝と喜びに変わっていきます。
死ぬ日に向かって、日々、大いなる光が強く大きくなり、ひとつになっている時間が増えていきます。
そして最後の日、大いなるひとつの光の人となって、戻っていきます。

震災や事故で亡くなる時、一瞬、棒立ちになってしまいます。
その時、魂、意識体は身体から抜け出してしまいます。
身体の痛みや苦しみは全く感じないので、何が起こったのか? わかりません。
気がつけば、宙に浮かんでいた、そして上から眩しい光が降りてきて、光の中へ吸い込まれていったという感じがする人もいれば、気がついたら、眩しい懐かしい光の中にいたという人もいるでしょう。
押し寄せる黒い波や落ちてくる柱や壁、迫ってくるトラックなどの映像は、身体に残ったまま、他のネガティブな感情や想いと共に、大地に染み込んで浄化されてしまいます。
魂や意識体に死の「その時」を尋ねても、ぼやけて覚えていないのは、このためです。
震災や事故で亡くなった魂、意識体は、楽しかった、うれしかった思い出、善き想いだけを持って、光の中へと戻っていきます。

自殺は・・・?
自殺する時、飛び降りて地面が迫ってくる、首がしまってくる、電車が近づいてくる・・・その時、棒立ちと同じようになっていますが、地面にぶつかり、電車に切り刻まれ、首の骨が折れる、窒息してしまうまで、魂、意識体は身体に残っています。
つまり自殺の場合、肉体が死なないと、魂、意識体が肉体から宙に浮かびません。
そして、この自殺の場合だけ、その瞬間、時間は非常にゆっくりと流れます。まるで時間が止まったかのように、ゆっくりと、スローモーションで「その瞬間」が起こります。
地面がゆっくりと近づいてくる。でも、もうどうしようもない。
首がゆっくりとしまってくる。息が苦しくなってきた。でも、もうどうしようもない。
電車がゆっくりと近づいてくる。レールと車輪に足が、腕が巻き込まれて・・・でも、もうどうしようもない。
この世に地獄があるとすれば、「自殺の瞬間」こそ、最悪な生き地獄でしょう。
その永遠と続く「自殺の瞬間」に、意識はしっかりとして、さまざまなことを考えられます。
誰かへの憎悪などのネガティブなエネルギーが強いほど、時間の流れは更にゆっくりとなります。
マンションから飛び降りた、電車の飛び込んだ・・・それは数秒のことですが、本人は数時間、数ヶ月、数年・・・に感じられる「自殺の瞬間」です。
自殺して宙に浮かんでしまうと・・・あとは病気で亡くなった人と同じです。上を向くと大いなるひとつの光が見えますから、そこへ昇っていけば光の中へ戻れます。
この段階で、自殺したから光が見えないとか、光へ昇っていけないとか・・・ということはありません。
大いなる光は、どんな魂、意識体も同じように温かく迎えてくれますし、今生のことをとやかくジャッジしたり諭したり、はたまた怒ったりはしません。


P.S.
今日、田中好子さん:スーちゃんの訃報に驚きました。
乳ガンとの闘病19年とか。その間に女優として素晴らしいお仕事をされてきました。
スーちゃんの魂はきっと、あの笑顔で歌いながら大いなる光さんの中へ戻っていったことでしょう。
耳を澄ませば、スーちゃんの歌声が聞こえてきそうですね。
ご冥福をお祈り申し上げます。 合掌。