2011年4月23日土曜日

おはようさん 2011.4.23.

どんより曇った空から梅雨の匂いが落ちてきました。
町の花屋さんの店先に、茄子や胡瓜、トマトの苗が並んでいました。
そろそろ野菜の苗の植えつけ時になりましたね。
今年は寒くって、生育が少し遅れている様子です。
自然農法の畑では、1ヶ月くらい植えつけを遅らせるとか・・・。
天地自然もダイナミックに動いていますね。
・・ねばならない。・・あるべきだ。では生きていけない新しい時代です。
からみついたしがらみを解き放って、
こころを自由にして、こころを光で満たして、
今をあるがままに、素直に見つめれば、
今日、何をすればいいのか、何に向かっていけばよいのかが見えてきますよ。

おはようさん!

昨日の自殺のお話のつづき。
「自殺したら地獄へ堕ちる。成仏できない」
あるお坊さんが語っているのを間近に聞きながら絶句したことがあります。
そう言うことで自殺は減ったでしょうか?
自殺まで追い込まれた人の気持ちをどこまでわかっているのでしょうか?
自殺した子供さん、パートナーと光の中でお話したくて、ワークに来られた皆さんが一番知りたがっていたことは「あの子、あの人は今も苦しんでいるのだろうか?」「真っ暗な闇の中をさまよってるのだろうか?」「光へと戻っていけるのだろうか?」でした。
自殺から何年も人知れず悩み続け、何年もこころで苦しみ、自分たちを責め続けてきた方々ばかりでした。
遺された家族までも地獄へ突き落とす宗教家やスピリチュアルリーダーが多いことがとても悲しいです。

自殺したい・・・では未だ気づきませんが、これから自殺すると決めた人には、遺していく家族の本当の気持ちもみんなの愛情もわかっています。まるで未来を覗き見るように、どんなに迷惑をかけるか、どんなにみんなを不幸にしてしまうか、気づいています。
それでも自殺してしまう・・・絶望と虚無感の深さ、強さに飲み込まれてしまいます。

いくら脅しても、諭しても、無力感だけが残ります。
そして宗教家たち自分自身をしばりつけている呪縛が真っ赤に燃え上がってきます。
怒り、焦燥、焦り、自己否定感・・・
もう自殺しようとしている人たち、遺された家族たちのこころに無我となって寄り添うことなどできません。
我欲とエゴの恐ろしさです。

自殺の時、心臓が止まる、身体がグチャグチャにつぶれる、そう魂、意識体が身体を離れて宙に浮かぶまで、時間がものすごくゆっくりと流れます。時間がとまったかのようなスローモーションになります。
飛び込んだら、地面や電車が迫ってくるのを何時間、何日にもわたって見続けるように。
首をくくったり練炭したら、息が苦しくなっていくのを詳細に体験し続けるように。
死ぬまでの時間こそ、生き地獄かもしれません。

でも、遺族と対面する時にはすでに、そんな地獄のような場面を亡くなった人の魂、意識体は通り抜けています。もう、苦しみは終わっています。
自殺した魂、意識体は、身体を離れて宙に浮かんだとき、自分は死んだことをよくわかっています。だから、さまようことなく、大いなる光の中へと導かれていきます。
大いなるひとつの光さんは、どんな魂、意識体もジャッジ、批判することはありません。
すべてオーケー。ごくろうさまです。
大いなる光さんはいつも言います。
「魂に大小も明暗もない。善悪もない。優劣も老若もない」
自殺した魂、意識体は光に戻れない、責められ反省させられる・・・などありません。
どんな魂もみんな大いなるひとつの光の中で笑っています。
最低最悪な人生だった意識体でも、光の中から遺してきた誰かと愛で繋がり、温かく見守っています。

悲しいことですが、自殺した人の亡骸と対面した時には、すでにすべての地獄は終わっています。
もう苦しみから完全に自由になっています。
大いなるひとつの光の中で安らぎ、笑顔が戻っています。
そして、心配してくれている遺してきた人たちの幸せを祈り、笑顔を望んでいます。

死ぬ瞬間・・・それは人それぞれです。
一瞬の人もいれば、永遠に感じる人もいます。
死に方というよりも、その生きざまが最後の時の有りようを決めているように感じます。
最後の息を吐くその一瞬は、宇宙の始まりから今までの時の流れと同じなのかもしれませんね。