2018年3月2日金曜日

ごきげんさん 2018.3.2.

黄泉比良坂 14  天の大いなる光へと昇りながら、今生を神の目で見下ろしている魂の意識体には、今生での数々の失敗が見えてきます。  ずっと記憶のブラックボックスにしまっていた失敗も、墓場まで持って行った秘密の失敗も、触れられるたびに落ち込んだり怒りがこみ上げてきた失敗も、すべての失敗たちが意識の中に鮮明に蘇ってきます。  受験で失敗した時に、合格した友人に抱いた嫉妬や羨望や憎しみの感情も、自己卑下や絶望や逃避の感情も、死後の思念の意識体の中にすべて置いてきたので、魂だけになった意識体には、その受験の失敗の根本原因と学びがはっきりと見えてきます。  離婚した時から抱いていた様々な思念もきれいに淘汰されてしまい、魂の意識体は離婚の本当の原因と学びに気づくと同時に、伴侶が抱いてきた思念も、伴侶が学んだことも見えてきます。  事業を失敗して倒産させてしまった本当の原因と学びも、その時に人知れず奔走して支えてくれていた人たちの思念も、迷惑をかけた取引先の思念も見えてきます。  生きている間は、「次を失敗しないようにするにはどうしたらよいだろうか?」と次にばかり目が向いてしまいますが、死後の中間生から今生の失敗を振り返る時には、「あの失敗の根本原因は何だったのだろうか? あの失敗から何を学ぼうとしていたのだろうか?」と失敗の意味を深く考えるようになります。  失敗も人生の大切な学びの節目であり、魂の波動を高めるチャンスだと捉えます。  どんなに努力をしても、頭脳明晰体力優秀でも、何不自由ない生活環境であっても、素晴らしい先生や友人たちに囲まれていても、陰陽師が大成功の太鼓判を押してくれていても、何かに呪われたようになぜか失敗してしまうことがあります。生きている間にいくら分析しても、名だたる専門家やその道のプロに何度尋ねても、失敗の原因がわからず、次への有効な対策も立てられないままに人生を終えてしまうことになります。  そんな失敗することがあらかじめ決まっていたような失敗には、人生を左右するようなとても深く大きな学びが込められています。その時にその失敗から学ぶべきことをちゃんと学び取らないと、その人生をもうそれ以上、生きる価値がなくなってしまうほどの学びです。そんな重大な学びとは、愛であったり、許しであったり、勇気であったり、信頼であったり、ただ生きることであったり楽しむことであったりと、魂それぞれにいろいろな学びを設定してきます。  人生の中で、次から次へと失敗が続くこともあります。失敗の連続で深く傷ついて人間不信となったり、すべてを失って再起不能にまで落ち込んだり、自暴自棄となって自殺の寸前にまで追いつめられたりもします。  失敗が連続する時には、ひとつひとつの小さな気づきと学びが山登りの階段のように連なって山頂へと導いてくれます。一段一段と気づきや学びが深まり、こころが強くなっていきます。 「もう終わりだ。これ以上は無理です。ごめんなさい、私が間違っていました。私が悪かった」と、いくら神仏や運命に嘆願しても聞き遂げてはくれません。見守ってくれている神仏やソウルメイトに背中を押されながら、息を切らしてまた登っていきます。 「これが最後の一段だ。これで頂上だ!」と喜びながら顔を上げると、更なる上り階段が見えきます。 「いつまでこんな失敗が続くんだ」と嘆きながら日々精進を繰り返していると、これまで積み上げてきた気づきと学びが、一気に崇高な悟りへと大進化する時を迎えます。  それまでの数多の失敗が失敗ではなくなった瞬間です。そしてこの瞬間から以降、もう失敗をしなくなります。失敗をしなくても、気づきクセ、学びクセを身につけてしまったからです。自転車を乗れるようになるまでには何度も転倒しますが、自然と上手に乗れるようになってしまうと、もう転倒しようにも転倒できなくなってしまうのと同じです。  このような失敗が連続する時には、それまでの人生の目的を更なる高位の人生の目的へと書き換えていることもあります。人生の波動が高まるだけでなく、波動の色もより美しく変えていくための書き換えです。  人生の大失敗は、大切な教訓をもたらしてくれますが、時にそれが人生の呪縛となって以後の気づきと学びの邪魔となることもあります。失敗を恐れるあまりにチャレンジしなくなると、気づきや学びは得られなくなります。失敗しないことが生きる目的となってしまうと、人生の波動も魂の波動もどんどん下がっていってしまいます。  そして、死を迎えた時、「あの大失敗を教訓にして、以後は失敗しないように気をつけて行動したから、こうやって安らかな死を迎えることができたのだ」と安堵しながら死を通り抜けます。  そんな人生を見下ろしながら、魂の意識体は果たして満足するのでしょうか。せっかく大失敗から本当に大切なことに気づき、大いに学ぼうと意気込んで人生を計画したのに、一回の大失敗で懲りてしまって、その後は気づきと学びのチャンスに挑むことなく平々凡々に人生を送ってしまったことに失望してしまうでしょう。次の人生は、逃げることの許されない過酷な人生を計画されてしまうかもしれません。魂の波動が下がりすぎると、中学生が小学生に落第してしまうように、次はもっと簡単な気づきと学びしか得られない格下げされた甘い試練ばかりの人生に戻されるかもしれません。  魂はグレたりはしませんが、波動の低く甘い人生には、神仏やソウルメイトの応援団もほとんど集まって来てくれません。何となく生きて、何となく死んでいく人生を何度も繰り返すことになってしまいます。何となく食欲ばかりの人生を繰り返していると、いつの間にか家畜に生まれ変わってしまうかもしれません。何となく争いばかりの人生だと、いつの間にか野獣に生まれ変わるかもしれません。何となく性欲ばかりの人生だと、いつの間にかネズミやミミズに生まれ変わるかもしれません。  大きな失敗を乗り越える力も、度重なる失敗に耐える忍耐力も、人間には備わっています。失敗から大切なことを学ぶために、この世を生きているのです。失敗に耐え、乗り越えていくことで魂の波動は磨かれ高められます。失敗は魂の研磨剤なのです。 死に方の極意 その15「失敗にチャレンジしよう」