2011年5月31日火曜日

おはようさん 2011.5.31.

先日、京都国際会議場で開催された抗加齢医学会総会へ参加してきました。
裏千家千玄室大宗匠の「茶道と長寿」のご講演を堪能してきました。
宗匠は88歳。
「一碗からpeaceful」 茶道から世界平和へ。
和敬清寂が人間の生きる根源の大切な言葉。
なんとか平和ボケ、国際的に孤立してる日本人を奮い立たせたい、日本に大きな和の力を!という熱い言葉で始まりました。
戦中海軍飛行科に学徒動員され特攻要員となり、昭和20年5月26日出撃寸前に外された。
後日、隊長になぜ自分は?と問いただすと「天命だ」と言われたこと。
そして、終戦後、アメリカ兵が実家の茶室へ押しかけてきた時、宗匠の父は兵士たちを茶室に招き入れ、正座させ、一服のお茶に感謝させている姿を見て、お茶のために命を捨てる、と決意したこと。
以来今日まで、私がこうして生かさせていただいている、ありがたいな、どんな天気でも庭に出て太陽に感謝してる。寝る前にも、今日一日生かさせていただいて感謝してることを、その時その場と深く繋がりながら話されました。
木食草衣月に似る。一生は無念また無害。もし人居いずれのところにあるかとと問えば、青山緑水是我家。
この地球に住まわせていただいているこころをみんな、忘れているのではないか?
小さなお茶碗は丸いでしょう。
その丸の中に緑のお茶が入っている。
この小さなお茶碗を地球と思って欲しい。
そしてお茶を自然環境と思って欲しい。
お茶碗の中に全宇宙が入っているでしょう。
どんな人同士でもお互いに譲り合い勧め合うこころが繋がって和をなしていくんですよ。
みやぎまりこさんの重症身障者施設にお茶室を作った。
動かない手を何とか動かそうとしながら、お茶を点ててくれた。
顎に袱紗をはさんで道具を清めてる。
普段動かない身体だけど、這いつくばりながら、一歩一歩お茶を運んでくれる。
「この人は普段、手が全く動かないのに、お茶の時だけはこうして動くんですよ」
目の見えない人がお茶を点ててくれた。
そのお茶碗に点字があるのに気づいた。
窯元さんが特別に前と後ろがわかるようなお茶碗を焼いてくれた。
ひとつひとつの所作には意味がある。
所作を覚えること、間違えないことに気を取られてしまって、お茶は堅苦しい、難しいとなってしまっていませんか?
障害者の皆さんは、不自由な手足で、見えない目で、何とか目の前の所作をやろうとする。だから、その所作の意味がわかってくる。それは利休の侘びであり、茶道の美です。
今、全国の身障者の人たちの間でお茶が流行っている。
日本は礼に始まり礼に終わる。
お茶碗を回す、それは謙虚な気持ち。
半歩でも一歩でも下がるこころ。
相手をいたわるこころ。
相手に譲るこころ。
障害があるからこそ、謙虚になれたからこそ、日本人の和の創造が障害のある人たちの中から始まったんだ。
お茶はどんな人でも平等。
丸腰でにじり口から入る。みんな低頭してみんな平等、敵味方なし。
和敬清寂。
和はPeace & Harmony。
敬いあって人の話を聞く。
自分のこころの中を絶えず浄化して、ほがらかに前を向いて進んでいこう。
「茶道と長寿」年を取っても、いつも自分の足下を見る。
自分のこころの中をいつも見つめなさい。
自己認識を正しくしましょう。
和敬清寂。
寂は喫茶去。
まぁ座ってお茶でもどうぞのこころ。
和敬清寂で世界に真の平和をもたらしましょう。

京都 抗加齢医学会総会。今回のテーマは「アンチエイジングの心の目を拓く」。
結局、こころの目を拓いてくれたのは玄室師匠だけだったような気がします。
ただ壇上の坪ちゃん(坪田教授)の眼差しの奥に、エビデンスからフィロソフィに向いている光が感じられたのが唯一これからへの希望でした。

宗匠のお話は、和・輪・笑と同じベクトルです。
こうやって光の道を説いてくださっている方にお会いできると、台風一過でもモヤモヤ&ウツウツに包まれたままの日本に、日本人に、希望と光が残されているように感じます。
だれもが光の子。
お茶に湯を注ぐように、日本人に熱い想いを、清らかな夢を注いで茶筅でかきまわせば、
美しい光の世界が真ん丸なこの星に生まれるんだ、と心強く実感できました。