2011年5月23日月曜日

おはようさん 2011.5.23.

今年は梅雨前線がはっきりくっきりしていて、
身体も気持ちも湿濁べとべとさんな朝です。
でも、一年生はピッカピカ。
学校にも慣れてきて、ますます元気になっていますね。
登校する子供たちを目で追いながら、
元気のおすそわけをこっそりいただいてきました。

おはようさん!

日本伝統工芸近畿展に行ってきました。
花器しかわからないけど、漆器や象眼、着物などもたっぷりと見て回って、日本人の手先の器用さ、感性の彩り豊かさを堪能しました。
目の前の作品を眺めていると、作者さんの日々の想い、その光と影までもが浮かんできます。
作品が、自分が売れるために・・の想いが作風を毛羽立たせ、オーラを弱めます。
遺作となった作品がいくつかありましたが、どれも故人の生きざまが見えてきました。
死を予感されていたかどうかはわかりませんが、
七転び八起きで歩んできた人生のすべてが最高にピュアーな形で結晶化していました。
焼き物も染め物も彫刻も、腕前だけでは限界があります。
火の踊り、染料の渦、木や貝の腰具合・・・自然を味方につけないと善き作品にはなりません。
だから皆さん、神々への感謝、八百万の自然への祈りをとっても大切にされています。
我欲やエゴに飲み込まれていくと、感謝と祈りは形だけになってしまいます。
それでも腕前だけあれば大丈夫。
値段、経歴、馴れ合いの一品。
我欲とエゴの世界は賞賛してくれるし、高く買ってくれますから。

伝統工芸は技術を受け継ぐところ。
受け継いだ来た技術に更に磨きをかけ、腕前を高めていくのが伝統なら、ちょっと寂しいかなぁ。
こんなんも作れまっせ! どうや、すごいやろ! では哀しいかなぁ。
手術にもロボットがどんどん導入されてきています。
繊細に管理された技術は、鉄腕アトムじゃないけれど、生身の医者を追いつめているようにも思えます。
伝統工芸も同じ。
まだまだ人間優位だけど、機械技術やロボットも侮れません。

でも、ハイテク、ナノテク、ロボットにないものがあります。
それは、感謝と祈り。
そして、我欲とエゴ。
我欲やエゴが強いと、伝統工芸も医療も、近未来には生き残れないでしょう。
今は我欲とエゴの世界でちやほやされていても、時の流れはごまかせません。
時代を超えて輝きを放つ工芸作品はなくなってしまいます。
機械技術やロボットの怖さとは、人間の我欲とエゴそのものなのです。
原発など、我欲とエゴで動けば、事態がどんどん悪化していく最たる証ですね。

感謝と祈りがあると、謙虚になれます。人の声が聞こえてきます。
みんなで考えることができます。智恵を出し合えます。

感謝と祈りがあると、自然が寄り添ってきます。力を貸してくれます。
失敗しても、必ず次への何かが残ります。災い転じて福と成します。

感謝と祈りがあれば、創造が出来ます。天からインスピレーションが降ってきます。
チェスや将棋に勝つスーパーコンピューターでも、人間の創造力には永遠に追いつくことはできないでしょう。

そして、感謝と祈りが、光の世界を創造します。
器械もロボットも、光の人たちと共にいます。
伝統工芸も医療も、光の生活の中に息づいています。
年老いた原発だって、のんびりと動いています。
あの頃より、すごく不便でしょう? って・・・
いえいえ。それほどでもないですよ。
財産や権力の大きさよりも、こころの笑顔の美しさが幸せのスケールになったからね。
ほら、みんな笑っているでしょう。
子供のような笑顔がいっぱいでしょう。
あの頃と比べて不便って言えるものは大抵、新しい技術が補ってくれているからね。
あの頃には考えもつかなかった新技術や器械が爆発的に開発されてきたんだよ。
まさしく「創造の爆発だ!」だね。
だから、今、この光の世界の方が豊かだし、みんな、幸せだよ。

感謝と祈り。
それは宗教に縛られることもなく、
我欲とエゴのバブルの虚しさを知り、
世界で一番社会主義化が成功しているこの国だからこそ、
今、光の世界への錦の御旗へと織り込んで、世界の人々の先頭に立って歩み始める時なのです。