2011年5月20日金曜日

おはようさん 2011.5.18-20

毎朝の見慣れた街路樹の一本が、今朝、真っ白になっていました。
近寄ってみると、5ミリくらいの小さな白花で包み込みラッピングされていて。
昨日までは緑だったけど、みんな一斉に立ち上がって、両手を挙げて、ジャンプ!したように真っ白です。
人もこんなふうに皆のこころが繋がって、ひとつになるにはどうしたらいいのかな?
わんこのオシッコにつきあいながら、立ち止まって想いました。

フランス革命や先の大戦では、国王や貴族、ヒットラーとナチスという明確な敵がいました。
恐怖、悲しみ、苦悩がみんなをひとつに繋ぎました。
憎悪、怒り、殺意がみんなを行動へと駆り立てました。
湾岸戦争、アルカイダ・・・西洋社会ではいまだに「敵の創造」を繰り返しています。

ご維新、戦後、そして大震災。
敵の影は薄れ、ネガティブな感情よりも新しい「次の何か」への期待が膨らんで、
それぞれの夢と希望へ向かって一団となって進んでいきました。
やがて、みんなの夢と希望がひとつになれなくって、
各々の夢と希望がいつしかエゴとなり我欲がぶつかり合い、
争い、競争、支配&従属で世の中を染めてしまいました。
権力と財力がすべての判断基準の社会は、無表情な仮面の着用を強制して個人を消し去り、
モノトーンな常識&流行を仮面に薄っぺらく投影し続けて、
「大衆の創造」を繰り返そうとしているニッポンです。

強大な敵が消え去り、悲しみや苦しみ、怒りのない日々は幸せで平和です。
我欲&エゴが適当に満たされた一般大衆の日々も幸せで平安です。
でも、敵は消えません。次から次へと出てきます。
我欲もエゴも消えません。
嫉妬羨望、自己卑下、チャレンジ精神の欠如・・・負けないように、ますます気力を振り絞らなくてはなりません。
物質文明の終焉。こころの時代の幕開け。
聞き慣れたキャッチコピーが色あせて聞こえてくるのは、本当はみんな、こころから幸せだと感じていないからでしょう。
何か足りない。でも今までの延長線でもがいていても、何かが違うような気がする。
世界の政治経済にも社会生活にも、そんな何かの違いが今、急速に膨らんできているように感じます。

バラバラに咲いていても、ずっと緑の木のままです。
みんな一斉に咲き出すと、真っ白な光の木になれます。

どうしたらみんな一斉に花咲けるのかしら?

この世の全員が一斉に覚醒したりアセンションしたりすることはありません。
これはずっと前から光さんが繰り返し行ってきたことだから。
だから、可能性のある人だけを探し出して、その人に集中して引き上げましょう。
これが光さんに繋がるスピリチュアリストたちのちょっと前までの暗黙の了解でした。
過去も未来も平行多次元もすべてが収束している間は、それでよかったのです。

今年になって、グループワークで大いなるひとつの光さんとコンタクトする度に「拡散」とか「爆発」がキーワードで何度も浮かんできます。
いろんなところで「収束」から「拡散」「爆発」へのイメージを目にします。
爆発は花火のような真ん丸な爆発ではなく、収束した光玉がもぁっと膨らむと同時に、一直線に光の束が伸びていく、そんな感じです。
だから、この世のみんなが一斉に光となって輝いてもらわないと、「爆発」を押し出してもらえません。
みんなが一斉にこころを開いて、うちなる光を解放できるように・・・どうしたらできるのかな?

朝の道、紫煙をまき散らして歩いていく人たち。
住宅路を猛スピードで走り去る車。
町の人への気づかい皆無で我が物顔に「みんなで渡れば」な松下社員たち。

くるみの殻を割って光を取り出すには、どうしたらいいのでしょう?

死への恐怖を使うしかないのでしょうか?
小惑星の衝突。未曾有の疫病。地球レベルの放射能汚染。
この三日間、答えは降ってきませんでした。

死への恐怖を使えば、人類史はまた振り出しに戻るだけです。
今回のチャンスもダメだったと・・・石器時代からやり直しです。
だけど、何か他の方法があるはずです。
あるいは、死への恐怖が現実化した時、みんなで手を繋いで、共感しあって、無我となって、みんなのために祈れれば・・・ムリですね。残念だけど、それができるようだったら苦労はしないですもの。

この世のただひとつの真実とは「人はかならず死ぬ」ということです。
光の世界になると、死はありますが、生と死が裏表の関係から、陰陽マークの関係になります。
生から死が見える・・・肉体を持っているかどうかの小さな差だけで、生きてる人とも死んでる人とも、誰とでも共感しあえます。
だから、光の世界では「死への恐怖」はありません。
人は必ず死ぬけど、死の恐怖はない世界。
すると、やはりこの世から光の世界へ移行するには、「死への恐怖」を使うしかないのかもしれません・・・使っていいのかもしれません。
具体的にどんな形で具現化するのかは、こちらでは選べないのかもしれません。
ただ、こころの準備をしておきなさい。
日々の生活の片付けをしておきなさい。
この世を思いっきり楽しみ味わっておきなさい。

まるでディズニーランドの閉園間近のような気持ちになります。
それでも、生きている意味や今、起きようとしている大きな流れの意味、人の本質である光のことを知っていると、ワクワクしながら希望を持てます。
「また来ようね」と笑いながら、ちょっと寂しそうに帰り道を歩く子供のように、
「楽しかったね」と今日の思い出を分かち合いながら、手を繋いで夜空を見上げるカップルのように、
「死への恐怖」なんかに飲み込まれずに、
「生への希望」へと飛び込んでいく。
ひとりひとりが今、目の前に迫り来る自分の死へと向き合わされても、
我欲とエゴに惑わされて右往左往してる間に「死への恐怖」に飲み込まれてしまわないように、
生と死がメビウスする輪廻転生、因果応報な世界へと引き戻されないように。
だからといって、幻覚妄想なスピリチュアルな世界への逃避なんかは今度こそ卒業して、
滝をくぐり抜けるように「死の恐怖」に飛び込んで、
滝の中で「生への希望」をつかみとって、光の世界へと抜け出ましょう。

誰かが光の手を伸ばして救いを求めていたら、
しっかりと手を握って引き上げてあげましょう。
ただそれだけで・・・「大丈夫だよ」といういつものメッセージが降りてきた気がしています。
何かが起こっても、その意味を悟っていれば、恐怖も諦めもなく、ワクワク&ドキドキと希望を持って、夢を抱いて「今、やるべきこと」「進むべき道」が見えてきます。
だから、大丈夫だよ。
やっと光さんの笑顔が見えたような気がしました。