大きなランドセルを背負った小学生が家から出てきて、
楽しそうに前を歩いていました。
運動会? 音楽の時間?
手旗信号のように両腕いっぱいに何か描いています。
学ぶことも、想いを描くことも、本当は楽しくってしかたないことです。
願わくば先生が、この子の自由さ、無限の想像力にシンクロして欲しい。
モノトーンでしか見えない大人目線で、この子の光色を汚さないで欲しい。
小学生の手信号は、すっと街角から消えてしまったけど、
今日の幸せの予感が、あたり一面に残っていました。
人は本来、自由で楽しい生きものです。
それが、学校に入る頃からどんどん画一化されていきます。
人間性や表現力。
その人となりの美しさ。あるがままに自分をすべてを描き出せる勇気。
人への、天地自然への気づかいも思いやりも育まれることなく、ただ、
デジタル化された知識を詰め込まれて、マニュアル化された解法テクニックを覚え込まされてきたけれど、
昨日までの過去生では、それが必然必要でした。
だから、昨日までのすべてはもう許しましょうよ。
憎んでも恨んでも妬んでも泣いたって、永遠に過去は過去です。
振り子のように、また過去に吸い込まれ、過去に戻って行ってしまいます。
振り子のHIMOを切りましょう。そして今こそ、永遠から無限の今へ飛び出しましょう。
すべての昨日を許しちゃえば、HIMOは切れます。
どこへ飛んで行っちゃうの? 行き先がわかんないとダメだよ?
だったら永遠に輪廻転生してればいいの。因果応報が飲み込んでくれるよ。
植物のタネは風まかせ、食べてくれた動物まかせで飛んでいきます。
巣立った動物は親の縄張りから追い出されて、未知へと歩いていきます。
生きものの天地自然の理です。
人間? どんどん化石化してきちゃってるよね。生きものじゃなくなってきてる。
震災も含めて、たくさんの不思議なシンクロ出来事が今に収束してきています。
臨界点を最初に突破するのはどうやら&やっぱり日本人でしょう。
黒船の時も、先の大戦の時も、HIMOを切る練習をしてきましたからね。
HIMOを切るには勇気が要りますよ。
だって既得権益もブランドもパッ〜と手放しちゃうわけだから。
HIMOを切るには愛が要りますね。
昨日までの才能やチャンスをくれた、支えてくれる友に巡り会わせてくれた神さまへの感謝が明日の自分を生きる力になるから。
難しい・・・でも大丈夫。これだけ機が熟してるんだから。
大丈夫だよ。
そして光の世界でみんなで会いましょう。
おはようさん!って。
ミスチル大阪公演2daysで、桜井さんが大震災への応援歌「かぞえうた」のなれそめを語っていました。ドラムの鈴木さんからの提案に耳をふさいでいた桜井さん。「かぞえうた」という言葉が降ってきたこと。プロだから・・というドロドロがんじがらめさを自嘲しながら。
絵も音楽も天賦の才能です。
それは天が自由に思いのまま使い切って欲しいと与えた才能です。
彩りもメロディも天から降りてきます。
天賦の才能は、天から降ってきた彩りやメロディをしっかりと受けとめるグローブです。
だから、寝食忘れても描くのが楽しい。ともかく歌ってるのが、演奏してるのが幸せ。
天と繋がってる至福感だから。子供のような無邪気さが心地よくって、いつしか魂が輝き出すから。
そして忘れてしまいます。
できあがった絵も歌も神さまのものなんだってこと。ありがとうを。
農耕民の日本には、古より神さまへの感謝の祈りが続いてきました。
お米も畑の作物も、山川の恵みも、神さまからの贈りもの。
だから、ありがたいなぁの感謝も、みんなで分かち合いましょうの愛も、お日さまの日ざしのように、お月さまの微笑みのように当たり前のことでした。
自分が泥だらけになって働いた収穫だから自分のものだけど、本当は神さまのものなんだ。
だって神さまが見守ってくれなければ、こんなにうまく収穫できなかったもの(大抵、誰もが痛い目に遭ってますから)。
そこに人間の知識た技術が入れば入るほど、どんどん天への感謝と分かち合いの愛が薄らいでいきました。神々へのお祭りが形骸化されるのと相まって。
絵も音楽も同じだと思います。
もちろんそれを糧としてるのだから、それなりのお金をいただきましょう。
でも、昨今の著作権はちょっとやり過ぎじゃないかな?って感じています。
海山の自然も波の音、風の音は著作権なんて求めません。あるがままでどこでも「美」だから。
我がモノ顔になればなるほど、実は天の「美」を喪失した作品になります。
最近のアーティスト(ベテランも新人さんも)はみんな、ちょっと売れるとたちどころに「美」のない作品ばかり・・・な気がしませんか?
我欲の恐ろしさ、エゴの醜さを絵や音楽で表現してくれている。
何だか・・何だかです。
天と繋がったアーティストたちだから、自分の魂でもそんな恐怖や醜態を味わってしまって。
つぶれていってしまうのは残念です。
絵描きさんたち、音楽家さんたち、クリエイターさんたちみんなもHIMOを切って無限の宙へ飛びたてば、この世の彩りは数千倍鮮やかになるでしょう。
こころを繋ぐ風景が、笑顔になるフレーズが世界中にあふれていて、
どこへ行っても、誰と出会っても、こころ開いて自分のあるがままで笑い、話し、手を繋げるように・・・なりたいものです。
光の世界はもう始まっています。
光の道を誰もが歩いています。
我欲が強いほど光の道が透けてしまい、奈落の暗黒が迫ってきます。
恐怖のあまり、足を滑らせて墜ちていきます。
エゴが大きいほど光の道が狭まってしまい、前へ進めなくなります。
落胆や自責のあまり、また墜ちていきます。
光の道を歩いている実感はありません。一歩一歩前進している実感などなくって、ただ宙に浮かんでいる・・自分がどうなってるかわからないけど、ただひとつ、自分を信じてる、大丈夫だと。そんな感じで宙に抱かれている感じでしょう。
光の道に導かれて、無限の宙の中を一直線にどこかへ飛んで行っている感じかな。
そして、いよいよ仲間たちと出会えます。
同じようにどっかから飛んできた、光の道に導かれてきた仲間たちがひとつになります。
光の道が収束し始めています。
たくさんの光の道が収束して、やがて大いなる光が生まれます。
新しいビッグバン。光の世界の目覚めです。
・・・・これはミスチル Sense tour 2011 の最後のPVと重なって見えてきたビジョンです。
出来れば光の世界でも彼らの歌を聴きたいなって。祈りました。
きっと大丈夫。アーティストの古い我欲もエゴもHIMOチョッキンしてくれることでしょう。