2018年4月23日月曜日

ごきげんさん 2018.4.23.

ひかりの経営(仮称) つづき 「お爺さん、それでも今のこの村には、そんな毒は全然ないよ。世界中を旅してる人たちも、大きな町の人たちは今も元気で楽しく暮らしていると言っていたよ。お爺さんの話は、まるで別世界のようなお話だけど、同じ世界のお話なのですか?」  子どもたちの一番の年長さんでリーダー役の子が尋ねました。 「そうだね。別世界の話なんだよ。わしは戦争になった世界から平和になったこっちの世界へと移ってきたんじゃよ。小さな国がいよいよ戦争になりそうだ、という夜はとても静かな夜じゃったんじゃ。気持ちよく眠っていたら、急に夜空に大きな虹が架かったのが見えたんじゃ。夢だと思って起き上がって窓から夜空を見上げたら、夢ではなかったんじゃ。本当に夜空にとても明るい虹が架かっていたんじゃよ。そしてとても穏やかで優しい気持ちになって、また朝まで寝入ってしまったんじゃ。翌朝、目覚めたら戦争は寸前のところでなくなり、小さな国がひとつになった和平が成就していたんじゃよ。  それからは世界は急に良い方へと変わっていったんじゃ。他の小さな国々も大きな国々もどんどん和合しあっていったんじゃ。数年後にはワンワールド、ひとつの世界となってしまったんじゃ。国境も消えてしまった。通貨もひとつになってしまった。世界中どこにでも自由に行けるようになって、人種や宗教や権威で差別されることはなくなってしまったんじゃ。  それまでどこかに隠されていた技術が一気に解放されて、フリーエネルギーが世界中に広がったんじゃよ。昔だったら新しい技術を使うためにはたくさんのお金が要ったんだが、新しいこの世界では誰もがタダで技術を使えたんじゃ。ほら、お前たちも今、当たり前に使っているじゃろ。器械を動かし、車を走らせ、夜に灯りを灯してくれるエネルギーじゃよ。  あれ以来、食も変わったんじゃ。フリーエネルギーがあるから、もう農薬や化学肥料も有機肥料も使わなくなったんじゃ。不思議なもので、あれほど儲けようとしていた人たちばかりだったのに、みんなの身体のことをしっかりと考える農家さんばかりに変わってしまったのが大きかったな。  身体に良いものを食べていると、こころもどんどん平和で幸せになっていくものじゃ。世界中がスッと慈愛で満たされていくのが嬉しかったの。  良い食を食べていると、病気もしなくなっていったんじゃ。こころの病も身体の病も潮が引くようになくなっていったんじゃよ。世界中に笑顔が増えていっての、宇宙から見ると地球も笑っているように見えたそうじゃ。そんな笑顔に誘われてかの、あの頃から宇宙の人たちも降りてきて、一緒に食事をしたり、音楽を楽しんだり、宇宙のいろいろなことを教えてもらったりしたんじゃよ。今じゃもう誰が宇宙の人なのかわからなくなってしまったがの、それでええんじゃよ。昔よりもうんと楽しいし面白いからの。  今ではみんな長生きになってしまって、もう年齢なんかどうでもよくなってしまったがの。その長生きのおかげで、誰も死を恐れなくなってしもうたの。ええことじゃ。もうお前たちの世代はみんな、死んだ人たちともお話ができるじゃろ? 姿も何となく見えるじゃろ? それでええんじゃ。生きてる人とも死んだ人ともこころの中でお話ができる。だからみんなのことを大切に想えるし、どんなに離ればなれになっていても、いつでもわかりあえるんじゃ。昔は孤独に負けてしまった人たちが大勢いたが、孤独は自由の裏表、今のお前たちのように自由を思いっきり楽しめるのは幸せなことじゃな。とてもええことじゃ。よい世の中じゃ」  お爺さんが優しく微笑むのを見て、子どもたちの気持ちもほんわかと温かくなりました。 「昔の世界はお金がすべてだったって習ったけど、どういう意味だかよくわからないんです。お爺さん、教えてください」と年長の真面目そうな少年が言いました。 「今の君たちには、お金でモノを買うというよりも、お金でモノをいただくの方がしっくりくるよの。君たちが生まれる前から、お金は感謝だったからの。何かモノをいただくときや何かをしていただいた時に、感謝の気持ちをお金に託してお渡しするじゃろ。感謝が大きいほどお金の金額も高くなる。だからと言って、子どもが差し出す10シエよりも大人が差し出した1万シエの方が高いというわけではないだろう。お金よりも子どもが書いたお礼の手紙の方が喜ばれるし価値が高いとみんなから褒められるよの。  町のお役所に行くと、10シエは米粒1つの金粒と交換してくれるし、1万シエなら空豆1粒の金塊と交換してくれるの。今の君たちには、米粒と空豆の金の違いなど、よくわからないだろうし、わからない方がこころが健やかで幸せなんじゃの。  昔の世界の人たちはの、米粒と空豆の金の大きさと重さの違いに一喜一憂しておったんじゃわ。大きい方が得、重い方が得、高い方が偉い。お金はパワーじゃった。ともかく勝ちたいばかりの世界じゃったんじゃよ。  お金がないと何も買えないし、何もできない世界は、とても不便で窮屈な世界じゃったよの。お金がないから病気になる人も多かったんじゃ。お金がありすぎて病気になる人も多かったの。お金はパワーだから、誰もが手放したがらなかったんじゃ。できるだけたくさんのお金を自分の手元に置いておきたかったんじゃ。  何のためじゃと思う?  お金を貯め込めば貯め込むほど、何のために貯め込んでいるのか、自分でもわからなくなってしまうのがお金の裏のパワーでもあったわけじゃの。  お金持ちたちはよく言うとったわ。病気をしたら困るっての。そしてみんな年老いていって、最後には病気になって死んだんじゃの。お金持ちほど、病気になると困った顔をしとったわ。  だからわしは思ったんじゃ。お金を貯め込むから病気になるとな。  お金は確かにパワーじゃった。買うことはもちろん、支配することも権勢を振るうこともできたからの。誰もがお金の前にひれ伏した世界じゃったの。  お金を増やすことを投資と言っての。何が何でも儲けてお金を増やすことだけを考えていたんじゃの。人のためではなく自分のためのお金じゃったの。最後はお金のパワーは暴力じゃった。最高のお金持ちが世界を自分のためだけに動かすようになってしまって、とうとう世界が滅んでしまったんじゃの。暗く恐ろしい時代じゃった・・・お金のパワーが増すほど、慈愛が消えていった悲しい世界じゃったの」  お爺さんの悲しい話を聞きながら、子どもたちは涙を流しました。 「今のお前たちは幸せじゃの。お金は感謝に戻ったからの。ずっとずっと大昔も、お金は感謝じゃった。だからみんなが分かちあえたし、育みあえたんじゃの。今のお前たちの世の中と同じじゃの。みんなが笑顔で幸せな世界じゃの。すばらしいことじゃ。この世の中を創り出すために、この爺も生き長らえてきたんじゃの。いろいろあったが、よくがんばれたものじゃの。いつも誰かに助けられ支えられてきたからじゃの。ありがたい人生じゃったの。もう十分に楽しめたの」  子どもたちは爺さんに寄り添いながら、背中と腕と足を優しくさすってあげました。