2018年4月15日日曜日

ごきげんさん 2018.4.15.

透析しなければいけなくなった慢性腎不全の患者さんの腎臓は、医者も看護師も医療関係者すべてが「腎臓は再起不能」と思っています。 しかし華佗老師は、腎の休養時間を取って十分に休んだら、機能回復している腎もいるよ、とおっしゃいました。 GFR糸球体濾過量が回復するものはもちろんのこと、検査ではわからない潜在的に回復している腎もあるそうです。地火明夷です。 腎の休息とは腎の断食です。 腎の復活のスイッチが尿断食です。 腎を殺すものは、 1)食という欲 2)生活における欲:仕事や人間関係のストレス 3)我欲:自利他奪な信念や常識 特に「ひとくちの怖さ」が食という我欲によく現れます。 断食中よりも回復食中に「ひとくちの怖さ」に負けてしまいます。 その誘惑は長期間の尿断食で腎の蘇生スイッチが入った頃にやって来ます。 養生してようやく芽生えた芝生の上をスパイクシューズで走り回るようなもので、芝に大ダメージを与えてしまいます。 尿断食中にまず必要不可欠なことは、食という我欲からの解脱です。 もう十分に美食をしてきた。一生分食べた。だから、ありがとう&ごちそうさま!と感謝すれば解脱できます。 腎不全になったということは、ここで新たな生きがい・天職を見つけなさいということだな、と悟れば食の我欲から解脱できます。 食の我欲から解脱できれば、尿が天と繋がり天啓を知る手助けをしてくれます。 尿が身体の声を聞く手助けもしてくれます。腎の声が聞こえてきて、腎と友だちになれます。 尿断食の間に、この腎の声を聞くところまで到達できていなければ、続く回復食期中に「ひとくちの怖さ」に負けてしまうでしょう。 食の我欲からの解脱が出来ていなければ、「ひとくちの怖さ」に負けたことすら気づけません。 腎不全は不治の病だというのは、あながち嘘ではありません。 ほとんどの患者さんたちが、食の我欲にさえ気づけないからです。 気づいたとしても、それは断崖絶壁のような巨大な壁のように見えるでしょう。 その壁は、自利他奪な信念や常識の我欲が強ければ強いほど巨大に見えます。 本当はその壁はただの幻影に過ぎず、無念無想で進めば何の障碍もなくすり抜けられるのですが・・・ 我欲は恐怖を生み、煩悩は怒りを生み、交感神経を過緊張状態にします。 これは腎不全だけでなく、ガンにも難病奇病にも言えることです。 これから多くの人たちが、この食という我欲の解脱門をくぐることでしょう。 無事に解脱を得て、光の世界へと昇って来られる人はどれくらいおられるかしら。 ひとりでも多くの人が無事に食の解脱を得られることを祈っております。