2018年9月6日木曜日

ごきげんさん 2018.9.6.

今日は一日青汁一杯の森美智代先生とのご縁で、西園寺昌美先生の会に参加させていただき、裏千家の大宗匠 千玄室さんの素晴らしいご講演を間近で拝聴させていただきました。 大宗匠は95才。まだまだとてもお元気で、日本中を日々、飛び回っておられます。 そんな大宗匠も戦争末期に特攻隊に志願され、死を覚悟されたそうです。 千利休から続く茶道家元の千家は武家であった。 武では、いつか倒される。戦えば、恨みや憎しみ、悲しさや絶望が残る。 茶道は文武の文。己が一歩下がる、相手に譲れば、和・輪・笑が生まれる。 特攻隊に志願した時、文から武へのスイッチが入った。 だからこそ、戦後から今まで、文の和・輪・笑を世界中に広めるために尽力してきた。 願わくば、あと数年、文に生きたい。 大宗匠のお話を傾聴しながら、一椀の茶に込められた熱い想いがひしひしと心に伝わってきました。 病は命を奪います。 患者さんは命がけで病と向きあっています。 医者は命がけで病と向きあっているのか? 古代の皇帝の侍医は、命がけで病と向きあっていました。 治せなければ、首を刎ねられました。 もちろん、その代償は莫大な財産と厚遇でしたが、天授を全うできた医師はいなかったでしょう。 40年近くの臨床経験を顧みながら、命がけで病に向きあったとお薬師さまに胸を張れるのか? と自問すると・・・ 正しく今、命がけで病と向きあっていると言えます。 華佗指圧は鍼灸や氣功よりも命がけの施術です。 病の邪気を指先から自らの経絡中脈を介して天空へと放ちます。 自らの生気で患者さんの気虚血虚を補います。 意識を無にする。自らの肉体も無にする。無だからこそ、邪気は風の如く吹き抜けていきます。 それは一服の粗茶と同じです。 医者の人生の中で、たったひとりでも、命がけで病に向きあい治した患者さんがいれば・・・ その先に、病の本質が見えてくるような気がします。 大いなる宇宙の流れは、折しも明日からのヘミシンクへと繋がっています。 何かが自分の中で起こる・・・そんな予感が強まってきています。お楽しみに。