2018年5月8日火曜日

ごきげんさん 2018.5.8.

(つづき) 「私は今朝出航する父の船を見送りに港へと向かっていました。真夏の朝です。すでに蝉たちがけたたましく鳴き交わしています。今日も蒸し暑くなりそうです。  港に近づくと、そこここで怒鳴りあう声が津波のような大波となって押し寄せてきました。ものすごい活気です。それでもこれで船が帰って来る時の半分程度の賑やかさにしか過ぎません。やはりお宝の山を目の前にすると、人間の強欲な性が丸見えになります。  父の船は1艘だけですので港の端っこに停泊しています。私は行き交う人々の中を泳ぐようにして父の船を目指しました。  やっとの思いで父の船に近づけたその時に、私はつぎはぎだらけの汚い着物をまとった腰曲がりの老女にしがみつかれました。私はぶつかった失礼をわびて老女を引き離そうとしましたが、老女は私の腰をつかんで離そうとしません。しきりに「お話があります」と呟いています。 「わかった、わかった。おばあさんの話とやらを聞かせてもらいましょう」  私は老女を抱えるようにして、人混みから離れた茶店へと入りました。 「おばあさん、私にどんな話を聞かせてくれるのですか?」  老女は懐からひび割れた亀の甲羅を取り出してきて、私の掌の上に置きました。 「おばあさん、これは?」 「亀甲じゃよ。卜占せよとの天の声が昨夜、聞こえてきたので、日の出を待って卜占したのじゃ。亀はの、今日船出した船は二度と帰ってはこないと言っているのじゃ。すべて海に飲み込まれてしまうのじゃ。船乗りもみんな帰ってこないぞ。誰も生き残れない、とても恐ろしい風が吹くんじゃ」  私は少し心配になりました。確かに今朝の風はいつもの風とはどこか違っているような気がします。何だか悪い予感が朝からしていたのでした。 「それを父に伝えたかったんだ」  私が今朝、いつもより急ぎ足で港に来たのは、その悪い予感が怖かったからでした。 「ばあさん、教えてくれてありがとう」  そう言い残すと、私の足は父の船へ向かって駈け出していました。  父は船長(ふなおさ)と談笑していました。私はゼーゼーと息を切らせながら、老女の卜占のことを父と船長に詳しく話しました。  父はどこ吹く風な顔をしてましたが、船長の顔からは思い詰めているのがはっきりと読み取れました。やはり海の男はこんな些細なことにも敏感です。 「ぼっちゃん、その老女に会えますか?」  船長の言葉に老女のいた茶店の方へと目を細めてみましたが、もう老女の姿は見えませんでした。 「ん?」と、まくり上げた着物の袖を探ってみると、老女が握っていた亀甲が入っていました。 「これがその亀甲です」  船長は亀甲を見つめたまま、何か呪文のようなものを呟いています。さすがの父も真面目な顔つきで船長を見つめていました。 「今日の出港は取りやめましょう。明日、大嵐に襲われ全滅します」  船長の亀甲を握りしめた手が震えています。私は父の顔を見つめました。父は即断しました。 「わかりました。大嵐に備えてください。出港は嵐が去った後にしましょう」  船長は父と固く握手すると、船員たちに出港延期を伝えながら船の中へ消えていきました。 「よく教えてくれた。助かったよ。ありがとう」  父は私の手を握ると、いつもの笑顔に戻って船を降りていきました。  結局、その日、父の船と他の数隻だけを残して大半の船は出港していきました。  その夜は、いつもよりは蒸し暑さが増していましたが、満天の星がよく見える穏やかな夜でした。父はいつもと変わらずお気に入りの酒を飲んで眠ってしまいました。  私は老女のことが脳裏から離れず、いつまでも夜空を見上げていました。  あの老女は誰だったのだろう?  亀甲の卜占とは一体何なのだろう?  出港を取りやめて良かったのだろうか?  父はどうやってあんなに早く決断できたのだろうか?  本当にこれで良かったのだろうか?  何ひとつ答えが出ないまま、朝を迎えました。空はどんよりと曇っています。重く湿った風が吹き抜けていきます。海に目をやると、わずかに白波が立っていました。本当に嵐がやって来そうです。  父とともに港へと降りてきました。父の船は安全な入江にすべての碇を投げ込んで停泊していました。父が手を振ると、船上のみんなも手を振り返してくれました。 「じきに雨になるな。ちょっと寄って帰るところがある。お前も来なさい」  父は港を見下ろす小山の頂の小さな神社の石段を登っていきました。拝殿に着くと、父は姿勢を正してひざまづき、神さまに向かって何度も頭を下げながら祝詞を唱え続けました。私も見よう見まねで父と一緒に拝み続けました。  参拝が終わって石段を下りながら父は言いました。 「老女はこの神社の神さまの化身じゃ。船乗りたちはそのことをよく知っておるんじゃ。卜占の亀甲がその証。誰も疑うものはおらんはずじゃ。神さまがわざわざ知らせてくれたことは必ず起こる。例え起こらずとも必ず起こるものじゃ。もし起こらなければ、それは起こると信じて神さまの意のままに動いたからじゃ。神さまを信じたからこそ、神さまが禍を遠ざけてくださったのじゃ。何事も起こるべくして起こるものじゃ。大嵐も然り。神さまの声に耳を傾けるものだけが禍転じて福となせるのじゃ。質素、素直、勤勉、他利なものほど、神さまの声がよく聞こえるのじゃ。神さまの声をないがしろにしたものたちは船出していった。そこにも神さまの意図が見て取れる。それはそれで良いんじゃ。ただ我らは神さまに助けられた。それは決して忘れてはいかんぞ」  多くの回船問屋が潰れました。父は船を増やして10年後には港で12を争う大商人になっていました。私は港の喪が明けた翌年に彼女と結婚しました。父の仕事を手伝いながら10年後には身代を譲り受けました。商売を競いあう廻船問屋がいなかったので、私の代になっても仕事はとても順調でした。家庭も円満で2男1娘を授かりました。  父も母も大往生を遂げることができ、私たち家族みんなで温かく見送ることができました。  私は60才で息子に身代を譲りました。妻との隠居生活も穏やかでいつも幸せでした。  私は75才で妻と子どもたち、孫たちに見送られながらあの世へと旅立ちました。とても安らかな船出だったのが嬉しかったです。  あの大嵐が去った日から、私は順風満帆な人生を歩んできました。波風ひとつ吹かない凪ぎの人生でした。お金に困ることもなく、人間関係に頭を悩ますこともなく、愛し愛されながら幸せを満喫できた人生でした。私は幸せ者でした。  場面が消えて、再び闇の中に戻っていました。闇は静かに言いました。 「どれもお前だ。今のお前の中にもすべて入っておる。いつでもお前は新たなお前を呼び出せるのだ」  闇の中に古今東西の偉人たちの顔が浮かび上がってきました。最後は蓮の花です。 「蓮の花は泥水にしか咲かない」  それは一瞬の気づきでした。闇が蓮花の後ろに消えてしまい、私は光明に抱かれていました。すべてが成就したことがわかりました。  泥はどん底に溜まっています。どん底に根を張るからこそ、大輪の美しい蓮花を咲かすことができるのです。どん底が続くのはしっかりと根を張ろうとしている証です。  どん底は人生の大節目にやって来ます。人生の大節目は大進化のチャンスです。魚が陸に上がってきたように、獣が二足歩行を始めたように、大きく世界が変わってしまうかのような大進化を遂げるチャンスが到来した証です。  泥水に蓮の種を植えても、種自身が殻を破って発芽しようとしなければ、種は泥水の中で腐ってしまうだけです。種の必死な生きようとする力が発芽を呼びます。何があっても生き抜く決意が人生の大節目での開花を支えます。  どん底が続くなら、それは何かを変えるべき時です。何かを思い出すべき時です。それは何かを捨てるべき時であり、何かを受け入れるべき時です。  どん底は神さまのくれた大進化のチャンスです。どん底が続くのは神さまがじっと見守ってくれているからです。神さまの目でどん底のあなたを見下ろすと、あとちょっとで発芽できそうなあなたが見えることでしょう。殻を破るのは大変ですが、あなたにはできます。だからこそ、神さまが見守りながら、すんでのギリギリのところで助けてくれるのです。そう思うと初心貫徹できますね。