2018年5月6日日曜日

ごきげんさん 2018.5.6.

(つづき)  嵐に船を奪われてしまった父母が頭を抱えて泣いています。父母には息子を一人前に育て上げて、息子の家族とともに幸せに暮らしていく夢があったことを彼は思い出しました。 「あの時は私もひどく落ち込んでしまって、父母の気持ちを考える余裕はありませんでした。今、思うと・・・」と闇に答えようとした瞬間に、彼は「あの時」に戻っていました。静かに闇が言いました。 「さぁ どうする?」 「私はずっと父母に愛されてきました。今こそ父母に恩返しする時です。涙をぬぐって笑顔を作って自分の部屋を出ていきます。父母のところへ行って、父母が再び希望を持てるように慰めます。私はこれから必死に働きます。父母を笑顔にするために、できることなら何でもやります。私には父母が育んでくれた教養があります。この教養を活かせば何とかなるはずです」  すべてを失った父母と彼は屋根裏部屋へと引っ越しました。彼は最も給料の良い教師の職を探し出してきて、掛け持ちで働き始めました。彼の必死さが良きエネルギーとなって生徒たちにも伝わり、彼の町での評判は上がっていきました。  愛しあっていた娘との縁談は一旦はご破算になりましたが、それは娘の父親が彼のやる気と運気を計るためにあえて仕組んだものでした。 「さぁ どうする?」 「あの時、私はあんなに大切に想っていた人を何もせずに諦めてしまいました。もうだめだ、と初めから決めてかかってしまいました。どうにかしよう、何とかしよう、ともがき苦しむことを避けてしまいました。私は彼女よりも自分のことが大切だったのです。彼女は私ががむしゃらに奪い取ってくれることを待ち望んでくれていました。両親を捨てても私との愛を成就しようと決めてくれていました。それなのに私は・・・何もしませんでした。ただ諦めてしまいました。諦めるのが一番楽だったからです。  私は必死に働いて必ず迎えに来ることを彼女に約束しました。彼女の手の温もり、涙の美しさがこころに焼きつきました。それを勇気と希望の糧として、私は昼も夜も必死で働き続けることができました。  私の必死さを見て、助けてくれる人が現れました。父の借金を助けてくれた人、上流階級の家庭教師として紹介してくれた人、外国との重要書類の翻訳の仕事をくれた人・・・たくさんの人たちが手助けしてくれました。おかげさまで父も新しい仕事に就くことができましたし、母も内職を紹介してもらい、顔色に生気が戻ってきたのが嬉しかったです。  彼女も私との貧しい生活を考えて、趣味で習っていたピアノとチェロを鬼が乗り移ったかのように猛烈に練習を始めて、いつでも音楽の先生になれるまでに上達しました。夜遅くまで聞こえてくるピアノとチェロの音に、彼女の両親も彼女の決心が揺るぎないことを悟り、彼女を応援してくれるようになりました。  数年後、父の借金を完済できました。狭い屋根裏部屋の生活も終わり、父母は自分たちの収入だけで小さな部屋を借りての生活を始めました。  私も町はずれの古い家を借りることができました。そして彼女は両親に祝福されながら嫁いできました。彼女の父親から祝いのピアノが届いた時の彼女の笑顔は最高でした。彼女は毎朝、父が大好きだった曲で弾き始めをします。感謝と喜びをいつまでも忘れないように。  私たち夫婦は3人の子どもたちを授かりました。私は上流階級の人たちとのご縁が広がって、ゆとりをもって仕事ができるようになりました。外国の要人たちとのパイプを利用したいと政治家や高級官僚たちが内密な仕事を持ってきてくれるようにもなりました。  海を荒らし回っていた海賊が一網打尽に捕まった時には、私は裁判官の通訳として法廷に立っていました。海賊たちとは全く面識などないはずだったのに、とてもこころが重苦しくなって涙がこぼれたのには驚きました。海賊ひとりひとりの尋問中、とてもいたたまれない気持ちになり、急に腰も痛くなりましたが、海賊全員の死刑判決が降りると、そんな気分も腰痛も嘘のように晴れ晴れと消えてしまいました。  裁判所まで迎えにきてくれた妻との帰り道、夕日に照らし出された私の長い影がいつもよりも薄く軽くなったように感じられました。何かが取れて、こころが吹っ切れたように感じました」  闇は容赦なく次の場面を見せつけてきました。それは海賊に捕らえられて「死ぬか? 奴隷で働くか?」と迫られた場面でした。 「さぁ どうする?」 (つづく)