2011年7月25日月曜日

おはようさん 2011.7.25.

山元加津子さんから新著「ありがとうの花」をいただきました。
2009年2月に脳幹出血で倒れ、「もし生き延びても一生植物状態だし、一生体のどこも動きません」と言われた親友:宮ぷーとのお話です。
「私は、なんの根拠もないことなのに、だいじょうぶと、そう思いつづけていました」

だいじょうぶ

ヴォイストレーニングに通っていた頃、気づいたことがあります。
私の口癖というのか、普段、意識しないで最もたくさんしゃべってる言葉が「大丈夫」でした。
患者さん相手だから・・・そうなったのかもしれないけど、加津子さんと同じで、何の根拠もなく大丈夫だと思い感じることが多いのです。
反面、これはダメだな、と思い感じることもあります。
大丈夫だと感じた人やモノゴトは、やっぱり大丈夫な方へ、善き方へと進んでいくし、
ダメだなと感じてしまった人やモノゴトは、いつの間にか消えてしまいます。
想念の現実化? ザ・シークレット?
いえ、自分の我欲やエゴがちょっとでも絡んでいると、大丈夫もダメも起こりませんから。
自分が日々生きている、生きようとしている善のベクトルが、大丈夫とダメを振り分けているように感じます。

加津子さんの本には、「認める」「許す」「信じる」が、それぞれ涙と笑いの実話で語られています。
認めて、許して、信じて、それは「愛する」こと。
ありがとう。 それは愛の言葉です。
ありがとう。 それは和・輪・笑の光の世界のおはようさん!です。
スピリチュアルって、ありがとうなんだって、思い出させてくれました。
ありがとうを見失ったスピリチュアルなんて、翼をなくした天使だったのですね。

なぜ、どうして私のもとへ、加津子さんの新著が贈呈されてきたのか? わかりません。
でも今、「ありがとうの花」を読みながら、天使が宙から舞い降りてきてくれたような気分です。
ワイス博士の「前世療法」 飯田史彦さんの「生きがいの創造」
私の生き方が大きくひっくり返った節目には本がありました。
その時、感動よりも、大丈夫だ、が強かったように思います。右脳的であり、左脳的でした。
今回は左脳でも右脳でもなく、ただ「愛」に充ちて「だいじょうぶ」です。

これまで、光の世界への道を切り開いてきました。
ナタを振るい、崖をよじ登り、ずぶ濡れになりながら、茨で全身傷だらけになりながら、一歩一歩進んできました。しかめっ面で、歯を食いしばって。
そして今、ジャングルを抜け出た気がします。
光の世界への道がつながったのです。
そこには加津子さんとお友だち、つながっている光の人たちが集まってくれていました。
まだまだ細い道だから、これから何度も行き来して道を拡げていきましょう。
それが私のお仕事だから。
でもね、これからは笑いながら、ありがとうを連発しながら、歩めそうです。
神さまに、ありがとう、そして、だいじょうぶ、って言いながら。

光の世界って本当に来るのかしら?
そのためには、ものすごい天変地異が起こって、ほとんどの人たちが消えてしまうのではないかしら?
いったい、どんな日々の生活になるのかしら?
そんな懸念をこの本は笑い飛ばしてくれました。
もうちゃんと光の世界が始まっています。
FacebookやMixiよりも、もっともっとつながって、人の生き方ベクトルを光の世界へと向けています。
ひとりじゃないんだよ。
だいじょうぶだよ。
光さんがくれた真夏のプレゼント、生命の力がみなぎっている贈り物でした。

もう一度、神さま、愛の本をありがとう。光の本をありがとう。


ありがとうの花
山元加津子   三五館
「人は信じるに値する」泣けて、笑えて、優しい人たちへの大賛歌。