2018年6月20日水曜日
ごきげんさん 2018.6.20.
孤独死の仕方
孤独死が当たり前の時代になりました。
孤独死は悲しい死に方、残念な死に方なのでしょうか?
医師という仕事は、多くの死に立ち会います。
宗教者と違って、宗教の教義、死生観に縛られていないので、客観的に死にゆく患者さんたちの姿が見えていたと思います。
「人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くがごとし」と言います。
齢を重ねるごとに、様々な執着と欲、モノ、肩書きとプライド、友だちが増え続けて、その重荷を負いながら死を迎える方々がほとんどです。
重荷が大きく重いほど、偉い人です。
齢を重ねるほど、人の重荷がよく見えます。
重荷比べに明け暮れながら人生を終えます。
医師なら20歳代で、医師免許を得た途端に、名声と肩書きとプライドが得られます。
30歳代で、○○専門医の肩書きも高収入もリッチなモノも増えます。名声と権力への執着が芽生えます。看護師やパラメディカルを支配する悪魔の味を覚えます。
40歳代で、開業医として一国一城の主となったり、病院の○○部長となって「お医者さま」を謳歌します。
50歳、60歳代で、外車自慢、家自慢、子ども自慢・・・我欲とプライドの友人たちの中で生きがいを堪能します。
70歳代以降は、いかに引退するか? いかに蓄財するか? いかに名声と肩書きを維持するか? に腐心しながら、老いと向きあいます。
医師は自らの死を迎えても、重荷を重荷と感じることなく、孤独を味わうことはないでしょう。
そのような脳天気な医師たちに、孤独死はどう見えるのでしょうか?
人生の敗者の成れの果て・・・かわいそうに、哀れだな・・・上から目線の同情心が今の「孤独死」です。
孤独と自由はオセロの裏表です。
孤独のまま死ねたということは、死の直前まで自由に生きることができた、ということです。
今を生きる、人生を楽しむことができた人は、笑顔と感謝の死を迎えます。
今を思いっきり生きていると、執着と我欲、モノ、肩書きとプライド、群れあいの友だちは、どんどん減っていきます。
人生を楽しんでいると、笑顔と感謝、ソウルメイトや親友がゆっくりと増えていきます。
時間の奴隷のままでは、今を生きることはできません。
さまざまな支配から自由にならないと、人生を楽しめません。
時間と支配の呪縛から解き放たれると、仕事は奉仕に、お金は感謝に、寿命は天寿となって、天命のタスクを果たす毎に次々と延びていきます。
モノも財産も権力も失い、肩書きもプライドも消え去り、群れていた友だちも去ってしまった自由人は、この世の時間奴隷な人たちには、不運で孤独で残念な人に見えるでしょう。
自由人がひとり静かに逝った時、時間泥棒たちは、孤独死だ、と蔑みます。
時間奴隷たちは、ああはなりたくない、と哀れみます。
時間に支配された時間泥棒や時間奴隷たちには、自由が理解できません。自由があることすら知りません。
自由に生きる人を妖怪もののけの類いにしか見られません。
重荷を負っていない人など、この世にあってはならない化け物だからです。
自由な人には、時間奴隷も時間泥棒も、その素性は丸見えです。
かつての自分もそうだったから、重荷の大切さも、支配の快感も、権力の優越感も・・・そして、それらの虚しさも、手放す時の地獄の苦しみも見透かせます。
自由人の目には慈悲の光が、自由人の口には慈愛の言葉があふれ出ています。
その光を見ると、その言葉を聞くと、時間の支配の呪縛は解かれてしまいます。
自由人がひとり孤独に死んだ。
それは哀れで、悲しくて、さびしくて、残念な死でなくてはならなかったのです。
あなたがすでに自由人であるのなら、孤独死など恐れなくても大丈夫です。
これまでどおりに自由に生きて、自由に死を迎えて、何にも囚われずに、自由な魂のまま昇天しましょう。それが自由人の最高の死に方です。
今というこの時を愛でながら、生きることを楽しんでいる自由人は、およそ1年前に自らの死期を悟ります。
桜、紫陽花、ひまわり、コスモス、紅葉、餅つき、雪化粧・・・神さまは最後の景色を楽しませてくれます。
行きたい所や思い出の場所へも行かせてくれます。
会いたかった人にも会わせてくれます。
じっと目に、魂に最後の光景を焼きつけましょう。
そして昇天したら、神さまにその光景を見せながら、生きざまを自慢しましょう。
神さまもそれを待ち望んでおられますよ。
死の1週間前にも、お知らせを感じます。
そろそろ最後の準備を始める時が来たのです。
人生の卒業式ですから、魂のワクワクが抑えきれないかもしれません。
身体の動く範囲で構いませんから、自宅、自室を片づけましょう。
遺品や遺産も、あなたの感じるままに分けてしまいましょう。ビデオレターを付けておくと、あなたの死後に親族たちがもめることもないですよ。
ひとり孤独だから自由に死ねます。
自分の今生の最後を自由にプロデュースできます。
最後の日をどこで、どのように過ごすのかを決めましょう。
最後の日が近づくにつれて、最強の鎮痛薬であり多幸薬である脳内モルヒネの分泌が急増します。
最後の日は、とても気力が充実して、身体もよく動くので、最後の夕焼けを迎える場所まで行くことができるでしょう。
お気に入りの公園のベンチ
夕日のきれいな砂浜
満天の星が広がる丘
誰か看取ってくれる人がいれば、そのまま静かにそこで死を迎えます。
ひとりで逝く時は、見つけてくれた人への感謝の手紙を携えておきましょう。