2018年6月1日金曜日

ごきげんさん 2018.6.1.

 死に方の秘伝 その1  この死に方だけは避けましょう ① 誰かを、何かを呪いながら、恨みながら死ぬこと。 ② 重い懺悔や後悔のまま死ぬこと。 ③ 深い悲しみの中で、納得できないまま死ぬこと。  これらの死に方はどれも、  自分の人生を否定し、  自己を否定し、  生そのものを否定してしまいます。  呪いや恨みの中に、愛はありません。  懺悔と後悔の中では、愛は生きられません。  深い悲しみは、愛を涙色に染めてしまいます。  虚無にまで至ってしまうと、愛はミイラになってしまいます。    どの魂も、死んで肉体から宙へと浮かび上がれば、天へと昇っていきます。  天へと向かいながら、神さまと同じ視点から今生を見下ろします。  それは、今生の自己採点です。  落第点をつけると、再び同じ人生を繰り返します。  今生の生まれるところまで戻って、やり直します。  人生を演劇や映画に例えると、リメイク版の同じ主人公になることもあります。  同じ人生の中の兄弟や父母、親友や恋人といった別の役柄を演じることで、より客観視して主人公の人生を見つめ直そうとすることもあります。  同じ人生の中で出会ったペットなどの動物の素直な目で主人公を見ることで、大きな気づきを得ようとすることもあります。  これらも輪廻転生です。  同じ人生を何百何千回と繰り返していることもあります。  いつも必ず生まれるところから繰り返すとは限りません。  人生には、いくつもの節目があります。  落第点になってしまった肝腎な節目から、人生を繰り返すこともあります。  九九の暗唱で、クシチ六十三で失敗した時、再びニニんが四からチャレンジすることも、九の段 クニ十八からチャレンジすることもあるわけです。  人生の自己採点ですから、人生を否定、自己を否定、生を否定するのは、無記名で白紙回答するようなものです。  恨みや呪いが強いと、採点表をビリビリと切り裂いてしまうでしょう。  懺悔と後悔が重いと、採点表を握りつぶしてしまうでしょう。  深い悲しみの涙は、採点表をびしょびしょに濡らしてしまうでしょう。  虚無に至ると、採点表は愛と共に虚空へと消えてしまいます。  人生の自己採点なしには、この人生をしめくくることはできません。  自己採点ですから、魂がこれで合格!とすれば、この人生を終えることもできます。  神さまが決めた合格ラインはありません。  自分で合格だと納得できれば、それで合格です。神さまの目や他の魂たちの目を気にすることはありません。  自分でこの人生をやり終えた!と納得できれば、神さまも他の魂たちもこころから祝福してくださいます。  なぜなら、この宇宙は慈愛の宇宙だから。  神さまも魂たちも、その本質はすべて慈愛です。  善き死に方は、 ① 感謝に満ちています。 ② 満足感でいっぱいです。 ③ 祝福と賞賛「よくがんばった」の声があふれています。  今生を生きてきた自分からの祝福とリスペクトが大きいので、自己採点も高得点です。  自画自賛でよいのです。  「そんなものなの?」 「はい、そんなものです」  感謝、満足感、祝福とリスペクトは、それぞれが慈愛の分身です。  そこに慈愛があれば、善き死に方です。  どこにも慈愛がなければ、悪しき死に方です。  死後、天上の大いなる光に向かって昇っていく魂には、善き面と悪しき面が見えます。  生前によほどの修行を積んで解脱覚醒しないかぎり、人間ですから善き面も悪しき面も持ったまま死を迎えます。  魂の善き面の波動が悪しき面の波動よりも高い魂は、善き面が広く大きくなります。  魂の悪しき面の波動が善き面の波動よりも強い魂は、悪しき面が広く大きくなります。  大いなる光に善き面が向いている魂は、大いなる光が放つ眩しく美しい光にグイグイと引き寄せられていきます。  大いなる光に悪しき面が向いている魂には、大いなる光との間に、大砂嵐のような波動の乱れの壁が立ちはだかります。  大いなる光と魂の悪しき面は反発しあい、ついには墜落するように同じ人生に転生してしまいます。  これも輪廻転生が続くひとつの理由です。  最近、「光の前世療法」でこの大いなる光へと昇っていく時に、光のトンネルが見える人が増えました。  このトンネルは、魂が次の次元へとシフトする際に通る光のトンネルです。  このトンネルを通る魂は、別の次元での転生が続きます。  それは同じ地球での転生かもしれませんし、別の星、別の生命体や意識体に生まれ変わっての転生かもしれません。  そして魂の旅は、まだまだ続きます。  トンネルではなく、大いなる光そのものへと迎えられる魂は転生を終えます。  魂は大いなる光とひとつに溶けあって、長かった旅を終えます。  認知症のまま亡くなる老人が増えました。  認知症になると、呪いや恨みも、懺悔や後悔も、深い悲しみも忘れてしまいます。  伴侶や子どもの顔や名前を忘れてしまうのは、見送る人たちにとっては寂しいものですが、旅立つ人が悪しき死に方をしないことは、とても喜ばしいことです。  せいいっぱいの慈愛を込めて見送ってあげることができれば、きっと感謝と満足に満たされながら旅だっていかれることでしょう。 「よい人生でしたね」「よくがんばりましたね」「ありがとう」と祝福と賞賛の声で見送ってあげれば、大いなる光の中へとスッと入ることができるでしょう。  死へと旅立つ方を見送る際には、  その方との楽しかった思い出を語りかけましょう。  その方への感謝の思い出を語りかけましょう。  その方と一緒にがんばった思い出を語りかけましょう。  その方との愛の思い出を語りかけましょう。 「ありがとう」の言霊が、死へと旅だった魂を天国へと導いてくれます。