2018年2月19日月曜日

ごきげんさん 2018.2.19.

黄泉比良坂 2 死んで魂:意識体が肉体を離れて宙に浮かぶと、想念の現実化を起こせます。 思い通りの世界、望んでいたビジョンの中に、あたかも生きている自分(の意識)が居るように思えます。 死ぬと極楽往生して如来さまはじめ多くの仏さまたちが八雲に乗って迎えに来てくださる・・・と信じていれば、自分が描いた通りのビジョンで魂は如来さまび抱かれて天へと昇っていけます。 死ぬ間際に「地獄へ堕ちる」と覚悟してしまうと、肉体を離れて浮かび上がったところは、まさに地獄の一丁目になります。 死んだら全て消えてしまう、と信じていると、無の世界に漂います。 「ほら見ろ! 死後の世界などないじゃないか 無だよ 無!」と意識しているのは誰?な中途半端な無の世界です。(注:虚無の世界ではありません) 生まれ変わりを何千何万回とやってきていても、やはり誰もが「死ぬのは初めて」ですから、肉体から浮かび上がった魂:意識体となったあなたも、この想念の現実化をうまく使いこなせないかもしれません。 信仰心の厚い人は、その宗教が描いたとおりの死後の世界を進んでいけます。 そういう意味では、死後は地獄に墜ちるぞ!と脅すネガティブな宗教よりも、誰もが極楽往生できるポジティブな宗教の方がいいかな、と思います。 死んで肉体を離れたら、心身の病や致命傷、呪いは魂:意識体には着いてこないのですが、想念の現実化で、死後の魂に病や呪いを持ち込んでしまうことがあります。 最愛の人に裏切られて毒殺された魂が、胃腸が焼けただれる痛みを死後も魂:意識体の中でリアルに感じ苦しみ続けていた症例がありました。 父が背後から刺し貫いた裏切りの槍が死後の魂をも貫き通したまま、驚きと悲しみを味わい続けていた戦士の症例もありました。 未来永劫祟り続けてやる!と呪詛され呪い殺された魂が、その呪いを想念の現実化してしまっていた症例もありました。 どれも自分の想念を自分で現実化しているだけで、気がつけばいつでもその世界から自由になることができたのですが、そこに思い込み、想念の現実化の恐ろしさがあります。 死に方の極意 その2は「想念の現実化を楽しもう」です。 もう皆さんは知ってしまいましたよね。 死んで肉体を魂が離れたら、そこは「想念の現実化」の世界だということを。 まずは、今生で最もお気に入りだった姿になりましょう。どの年齢にでも若返ることができます。 イメージの世界は嘘も方便な世界ですから、超美人やイケメンに修正するのもOKです。 そして天国&極楽をイメージしましょう。 ご自分の宗教のとおりのイメージでも、自分で自由に創っても構いません。 先だたれた愛する伴侶や子供との再会をイメージすれば、とてもリアルな感動の再会のビジョンを現実化できます。 世界旅行をしたり、未来旅行をしたりすることもできます。 十分に想念の現実化を楽しんだら、次のステップへと昇っていきましょう。 死んですぐのこの段階で、今生をあまりに悔やんだり、嘆いたり、反省したりをし過ぎると、魂は今生を「想念の現実化」してしまいます。 今生をもう一度やり直したい・・・なんて想念すると、今生の始まりにタイムスリップして、そのまま今生をやり直すことになります。 輪廻転生ではなく、平行次元の無限パラドックスにはまってしまいます。 これは別次元の誰か(同じ魂がベストです)が救い出してくれない限り、永遠に今生をクルクル回り続けてしまいます。 死の方の極意 その3は「今生を悔やむな!」です。 死とはどういうものなのか? を知ってしまうと、もう死を怖がったり、嫌がったり、不安がったりせずに、 今生を「まぁ仕方ないな」と許して、 「まぁよくやったよな」と認めて、 「良いところもあったよね」と褒めて、 「うれしかったな。ありがたかったな」と感謝すれば、死を楽しむことができます。 想念の現実化を楽しめれば、光の世界へと簡単に昇っていくことができますよ。